久しぶりに、島田雅彦を読みました。
ずいぶん前に読んだものに比べるとずいぶん平易になったなと。
もっとずっと堅かったように思うのですけれどね。
例えば、「むずかしい」というところを「晦渋だ」というような・・・
ところで、溺れる市民、眠りが丘の住民たちを描く14の短編は、
あざとくも「0」から始まる番号が振られて、13番で終わります。
しかも、最初の9編が「初級篇」、続く3編が「中級篇」、
そして残り2編が「上級篇」に割り当てられています。
これらの番号と、初級から上級に至るクラス分けの意向のほどは
定かではないのですけれど、やはり最後の方が小説らしい小説かなと・・・
初級編の短いものでも、時折クッと来ますね。
「美脚に捧ぐ」では、同窓会をやってもだぁれも知らない同級生のこととか、
「幻の娘」は話そのものが。
「あゆみちゃんのお母さん」になると、ポルノグラフィになってしますが・・・
中級篇になると、少し話が込んでくるかなと。
そして、上級篇の2編、特に「私が岩石だった頃」は山田太一の「異人たちとの夏」なんかを思い出させる、
まさに「溺れる市民」を描いたものですし、
「燃えつきたユリシーズ」では、恩赦で20年服して受刑者がふいに与えられた自由に「底なしの自由」を感じ、
「恩赦によって、終身刑から自由の刑に処せられた」とまどいにはハッとしますよね。
刑務所生活を知らないものとしては、
「三食、寝床付きの暮しから自由になったその日から、男は激しい競争に投げ込まれた」
と、そういうことになるのかあと…。
こういっては何ですが、表紙の雰囲気と相まって淫靡な感じのつきまとう短編集でしたが
最後になって「うん、小説、読んだ!」という気になってきました。
