作品をまとまって見たことはないのですね。
ただ時折、例えば一昨年の「クリーブランド美術館」展で見た
少女の肖像のように、
突然場外ホームランに出くわすことはありますけれど。
ということなのですけれど、
本展はその企画の魅力というのでしょうか、
父である画家オーギュスト・ルノワールと
息子である映画監督ジャン・ルノワール、
双方の作品のコラボレーションで展覧会を作ってしまうという
妙によって見に行ったようなわけです。
これがなかなか面白かったのですね。
息子たるジャン・ルノワールの映画作品が、
これほどに父の描いた絵画作品を意識したところがあろうとは
思わなかったものですから。
こうしたことを考えると、幸薄い画家というのは多々あれど、
逆にルノワールほど、家族に恵まれ、家族に囲まれ、
幸福であったろう生涯を送った画家というのも珍しいかもしれません。
ところで、そんな具合でルノワールに大きな関心を持っていなかったために、
彼が「自分は肖像画家」という思いがあろうとは思ってもみませんでした。
どうやらルノワールに言わせると、「モデルは画家に火をつけるもの」ということだったようです。
その一方で、家族に恵まれたルノワールは家族を描くのが好きだったようですし、
子供たちの側もまたルノワールのモデルになるのは楽しみだったと
ジャン・ルノワールが小さい頃を回想して語っています。
「ガブリエルとジャン」(1895-96年)などは、そんなふうに思い出される一枚なのでしょうね。
そんなふうに、父を尊敬する子は映画監督になって、父の絵のオマージュとも思える作品を生み出します。
自身が描かれた「狩姿のジャン」に見られる狩場での装束を映画「ゲームの規則」の狩りのシーンに登場させます。
そして、「闘牛士姿のアンブロワーズ・ヴォラール」や「スペインのギター弾き」の
スペイン趣味は映画「黄金の馬車」に表され、
さらに、「陽光のなかの裸婦」は、
映画「草の上の昼食」の水浴シーンに
繋がります。
映像がリアルであるのは当然ですけれど、
光の散りばめられた様子を筆で紡ぎだしたルノワールの絵にこそ
むしろリアルさ(現実感)を感じるのは何故でしょう。
映像では「当たり前に過ぎるのでしょうか。
跳ねる水しぶきなどからも、絵の方を振り返ってしまったりします。
ちなみに、「草の上の昼食」のシーンではやおら裸になって泳ぎ出す女性を見て見ぬふりをする
「教授」とやらが登場するのですけれど、その表情と仕草が絶妙で、思わずニヤリとさせられます。
また、先の「ピクニック」の中の一シーン、
ぶらんこの場面は、父親の「ぶらんこ」という作品に
インスパイアされたものですが、
これは逆に映画ならではのブランコの躍動感で
描き出されているのでした。
これらは、映画の中の関連するシーンが
絵の壁面に映写されています。
該当するシーンを見るにつけ、「なるほどなあ」と思えるようになっています。
この仕掛けこそが本展の特色なわけなのですね。
という具合で、息子ジャンの映像をも通じて、
思いもよらずルノワールという画家を再認識するところとなりました。
ルノワールはさほど好きでないと、のっけから言い放ちましたが、
もちろん「これは良い!」と思える作品はあるわけで、
例えば、オルセーの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」などもその一枚です。
ルノワールの画調の変遷の中では、
かなり「この時期がいいな」というふうに思い込んでいたところが、
予想外にもっと見てもいいかなと思えるようになったこと自体が、
大きな収穫だったようにも思ったのでありました。




