信じる人のすべての苦痛は神が一緒にする。
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悪魔は餌なしに魚を捕まえようとするバカではない。
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「これらのしるし(サウルが神様と出会う)が、あなたの身に起ったならば、あなたは手当りしだいになんでもしなさい。神があなたと一緒におられるからです。」
(サムエル上10:7)
「これらのしるしが、あなたの身に起ったならば...」 = あなたが神様の霊の臨在を経験するようにならば。
「...あなたは手当りしだいになんでもしなさい。...」
= もしあなたの目に見える機会があれば、その機会を掴みなさい、それで私があなたのためになるようにしてあげる。
= あなたがやりたいことをすれば、それがあなたのための最上の機会になるよう私が保証する。なぜなら神様があなたと共になさるからだ。
あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。
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神々しさ(現実の中で自分を調節するための努力)がなくては、誰も神様を見ることができない
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洞察力を提供する聖書に近づけ、その洞察力を持って祈る。
ダニエルが祈りを始めたころ、神の回答はすでにあった。
(ダニエル9:23)
「なぜ恐れるのか、すでに予備しておいた祝福がある。」
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私たちは、主の前に進む時、きれいで完璧な状態で進まなければならないという考えを捨てなければならない。イエス様は謙遜であるからだ。
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未来を抱く戦略的思考
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十字架の前では歩かないで走らなければならない。
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ヘブライ語で黙想という単語(hagah)はとても静的な雰囲気を持っているが、本来の意味はシシが餌食を前に吠えている状態を言う、積極的な意味を持っている。
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神が働く時には効率的に働くということを覚えておこう。神が奇跡を起こしても、それを信じられない状況では、奇跡は起きない。
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何も起こらない。これが、神様が共に歩む表徴であることをもうイスラエルの国民が信じる。(カナンに入る前の荒野のイスラエル民)
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「何の問題もないことが問題であり、最大の敵だ。
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一日でも黙想と神様との交際の時間を持たなければ崩れるのは一瞬だ。
人は一番自信があることのために滅びる。 弱点のため滅びない。
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生命に関するものほど、多くの人が反応するよりも少数が反応する。まるで神の国の比喩によく使われるからしのように、種一つが数十倍、数百倍の実を結ぶ。
神の国は育つ種のように平凡に始まるのであって、絶対に華やかに進められることはない。なぜなら、神の国は、人の心霊の中から始まるからだ。
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(マルコ 1:40-45)
イエス様はハンセン病患者を癒した後、それを誰にも話すなと言ったが、その患者は自分が癒された事実を多くの人に話した。これによってイエスは村の中に入ることもできない状況になった。
主の御心を問わず行う熱心が、イエス様にとって毒になるかもしれない。
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神様がある人に来られるときは目的を持って来られる。あまりにも目的志向的ではないかと思われるかも知れないが、これは神が神でいらっしゃるからだ。
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知的に受け入れるすべての真理は絶対に肉化することができず、地に植えられて実を結ぶこともできない。それは命までイエスのためにかけられないようにする。しかし、復活したイエスが現れ、自分たちの目にで、いわゆる生きているイエス様が確認できる時、真実を全身で受け入れることになる。
クリスチャンは印を追わない。印が伴う。(霊権がついてくる)
死者の復活の上に教会が建っている。悪魔が打ち負かすことのできない権能だ。
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エジプトを出たイスラエルの民の中で的を請った人は、一人もカナンの地に入ることができなかった。
キリストが十字架を守る現場で、群衆は失望して怒り、キリストが今でも大きな能力を使って降りてくることを望んでいる。反面、ただそこに仕事に来ている人、それも異邦人であるローマ軍人は、キリストに気付く。 すなわち、彼は的を請わなかった人だ。
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蛙を反抗しないように殺す方法
蛙の水をゆっくり茹でる。蛙はいきなり沸騰した水に入ると驚いて飛び出すが、徐々に熱くなる水の中では温度の変化に鈍くなり、危機とは知らずに何の抵抗もなく徐々に死んでいく。(ゆでガエル理論)
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モーゼに神が言われた。 「私、エホバがあなたと共にいる。これがあなたのアイデンティティであり、あなたの銃で、大砲だ。事を成し遂げるまで、最後まで成し遂げられなければならない。」
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(マルコ 7:24-30)
イエス様の共生愛で初の異邦人に奇跡を与えた事件だ。
「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」という女の答えが、奇跡を与えるか躊躇されているイエス様を感動させた。
イエス様が最も喜ぶ信仰は、聞くことも見ることも学ぶこともできなかったが、心で受け入れる信仰だ。
この女の人の祈りは、人の時を早めたのではなく、神の時を早めたのだった。
イエスが十字架を背負われて、以後使徒たちが異邦の地を通る時に行われる、異邦人たちが奇跡を経験することが、予め行われた。
祈りが私たちの欲望から始まったのか、神のためのものなのか、私たちには分からない。最も重要なことは切実さだ。
イエス様は生命を生かすことについて、形も格式もない。異邦人の切なる願いを聞くために、イエス様はご自身が持っておられる枠を破る準備ができている。またイエス様がこの地に来られたことそのものもそうだった。
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(マルコ 7:24-30)
パリサイ人達は、5つのパンと2匹の魚の奇跡を見てもイエスに的を求める。イエスが答えられる。「これまで見せてくれたのが印だ。」
彼らはなぜ、神様の痕跡を見つけることができなかったのだろうか。それは、彼らが間違った神の国にとらわれていたからだ。
パリサイ人は政治的なメシアを待った。それでもイエスの公生涯を見ながら少しずつ変わっていってもおかしくないが、彼らはむしろ神様の国は絶対このように来るはずがないということを強化させていく(確証偏向)。自分の考えることを堅固にすることだけ受け入れ、自分の考えをさらに強化していく。
真理の前に謙遜でないこと、心が開かれていないことは傲慢だ。自分が見るべきものを見ることができず、聞くべきものを聞くことができないことを認めれば、主が見るようにしてくださり、聞くようにしてくださる。
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19:12イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。 19:13そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。 19:14しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。 19:15さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。 19:16最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。 19:17主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』 19:18二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。 19:19主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。 19:20また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。 19:21あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』 19:22主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。 19:23ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』 19:24そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』 19:25僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、 19:26主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。 19:27ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」
(ルカの福音書)
神様に対する誤解がすべての問題の根源だ。
『... これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので ...』 (20-21)
これは搾取を意味する。そう言った僕が主人を歪めて見るようになったのは、自分の不信実のためだった。主人は僕がムナを布に包んでしまっておいたことを裁いていない。主人に責任をなすりつける言葉に対して裁いている。
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イエス様の働きについて全く理解していないと言う人たちがいた。さらには、イエス様が悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出したと言う人々もいた。イエス様の働き方と内容は正常でないように思えるほど非常に過激だった。
主は生命を救うことに直結すること、人間を苦みから解放させることには水位を調節しない。私たちには、適当に調節する方が賢明だと思われるが、そうされなかった。そして、その終わりは十字架と死と復活だった。
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光が来た時、その光に気付く人はごく少数だった。
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信仰が宗教になる時に起こる現象は、自分の中に何が自身を不信、嫉妬させるのか分からないということだ。患者でいえば長い間病症が続いたのに、痛みはないからといってずっと病を抱え込んで生きているのと同じことだ。
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神は有から無を作り出し、宇宙を創造された。信じるということは、このように創意を持った神に似ていくことだ。
(融通性、柔軟な心について)
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闇に投資した人たちの失敗(使徒の働き 16:27)
金主たちは、悪霊につかれた女性と最も物理的に近くにいたにもかかわらず、この人にとっては最も幸せだったはずの、悪霊が去った瞬間に幸せでなく絶望する、つまり金に目が暗み、一生命が癒されるのを見てもイエスを追い出した、最も惨めな人々だった。
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背の低いザアカイはイエスを見るために前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。ザアカイは取税人で、後ろ指は差されるものの、それでも当時、ある程度社会的に安定的な階級の人だった。彼はイエスの前では体裁を崩さず自分の感情を包み隠さずにさらけ出した。天国はこのような子供のような人のものだ。
(出所:多数の教会)