結局、ホーリネス系の団体は福音の間違った解釈による、いわば聖書を基準とした新興宗教とも言え、正当なキリスト教とは言い難いと考えます。
神の恵みの解釈にも影響を与え実際に曲がった価値観の人が多いのも事実です。
実際にいた人ですが、
物や人間関係が神の恵みによりなんでも与えられると言うような人が以前行ったホーリネス系教会にいました。
神を自分の願いを叶えてもらう、ご利益機械か何かと勘違いしていました。
確かに神は必要な物事は与えてくださいますが、それを生かすも殺すも自分次第です。
またこういう方もいました。
自分には性格に問題があり、わがままで短期だけどあなたは私を愛してくれますよね?的な人です。
そこに健全な人間関係ができれば良いですが、与えてもらうしか考えてないような人と良好な人間関係が築けるはずがありません。
人間関係は両者が気持ちよくなるようにギブアンドテイクの世界です、
信頼は勝ち取っていくものです。
我々は少なくともスラム街にいるような全く物質的に恵まれていないわけではありません。
カルカッタの物質的に恵まれていないような方たちにはマザーテレサのような助け人が神により与えられました。
実際にカルカッタの方たちは神に願いもしないのに、与えられました。
神はそのくらい慈悲深い方ですが、
神の恵みを乱用するのはまた違います。
いったい誰が短期で自分勝手な人間と付き合いたいとおもうのでしょうか?
また神はそれを許されるのでしょうか?
世界がまるで自分のためにあるような錯覚を起こしている人がいましたが、
それも曲がった教理からの解釈かもしれません。
かわいそうですが、事実は事実として受け止め被害を少しでも減らさないといけません。
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