もうひとつのホーリネス派の問題点は、終末論の曲解によるものでした。

終末論の中には「至福千年紀」という千年の間祝福(地上的なユートピア)が訪れる期間があるとされています。

その期間前後にキリストの再臨があるとされ、神学の間では議論されています。

中田氏がアメリカに神学の勉強をした時には、南北戦争の荒廃意識により偏った終末論解釈がされていたらしいです。

それにより、当時主流だった至福千年紀後再臨説をねじまげ、千年紀前再臨説をとりました。

千年紀前再臨説の場合、一度世界は完全に荒廃しなければなりません。

何故荒廃を迎えなければいけないのかと言うと、千年紀前再臨説の場合、もれなく7年艱難期説もついてくるからです。
7年艱難期というのはその文字通り7年間の艱難期(世界がとてつもなく荒れる期間)が訪れ、自然界の災害や世界大戦が訪れるというものです。

今の文明が荒廃するとなると、物凄い勢いで核戦争や世界規模的カタストロフィを人類は経験する事になります。

その荒廃した後にキリストの再臨が訪れ、最終戦争をハルマゲドンという地で行われ、最終的に神を信じているものと信じていないものが裁かれるというものです。

そのような過激な思想を中田氏は取り入れ、きよめ派の中に浸透させていきました。

有名な神学者の一人で、ベンジャミン•ウォーフィールドは、基本的に無千年紀説をとっています。
無千年紀説は、至福千年紀というのは現実的にはあり得ない、という意味ではなく
千年紀説を、ある象徴としてとらえています。

基本的な福音主義であれば、至福千年紀というのは、人類の善が悪に打ち勝ち、極めて完全に近い至福期間が訪れるというものです。

そもそも聖書というのは、色々な言葉を比喩として書かれています。
例えば7という数字ですが、7は聖書の中では『完全』を表します。

次に女ですか、女というのは聖書では『教会』を表しています。
本当に女性を表したい場合、『婦人』
とい言葉を直喩で表しています。

旧約聖書の箴言などの最初に女に気をつけろ、的な言葉がたくさんでてきますが、これは比喩として、間違った聖書解釈をした教会には近づくな、という意味で女性そのものの事ではありません。
これを直喩的に曲解した中世ローマは魔女狩りや女性差別に行き着きます。

話が逸れましたか、基本的に聖書は全てを比喩で表し直接的な物事とするのは曲解だと、ウォーフィールドも言っています。

なので、極端な黙示録解釈をしたきよめ派は教会が一番の平安な場所で、教会以外は悪の巣窟のような言い方をしたりします。

それにより信徒には、信仰や喜びからの福音信仰ではなく、恐れからの恐怖信仰へといきつきます。

まとめへ続く…






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