- 32章 ペヌエルでの格闘。 ヤコブの名がイスラエルと改められる。 -

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※ 神について、神とあなたの関係についてのあなたの人生にとって一番重大な質問

 

ヤコブの生涯の崇高な地点です。生涯の曲がり角と呼ぶことができるでしょう。でも、これが決してヤコブの回心という訳ではありません。肉によって生きているという事実にも関わらず、この男、ヤコブは神さまの人でした。(IIペテロ2:7-8参照)今度のテストは、神さまがヤコブを取り扱わなければならないテストです。なぜなら、これから先、ヤコブは神さまを人々に代表する者となるからです。(イザヤ40:29)これがヤコブの経験です。 

 

(創世記32:1-2)「さてヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現れた。ヤコブは彼らを見たとき、『ここは神の陣営だ』と言って、その所の名をマハナイムと呼んだ。」

 

 神さまは、ヤコブを直接取り扱い始められます。それは彼を実りのある者、神さまのために本物の、活力に満ちた奉仕と証しをする者とするためです。

 

(創世記32:3-5)「ヤコブはセイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使者を送った。そして彼らに命じてこう言った。『あなたがたは私の主人エサウにこう伝えなさい。「あなたのしもべヤコブはこう申しました。私はラバンのもとに寄留し、今までとどまっていました。私は牛、ろば、羊、男女の奴隷を持っています。それでご主人にお知らせして、あなたのご好意を得ようと使いを送ったのです。」』」

 

 こともあろうに!そして、自分のことを「あなたのしもべヤコブ」と言わせています。ヤコブはラバン伯父さんからいくつかのことを学んだようですね。「私の主人、エサウさま・・・あなたのしもべヤコブ」です。

 

(創世記32:6)「使者はヤコブのもとに帰って言った。『私たちはあなたの兄上エサウのもとに行って来ました。あの方も、あなたを迎えに四百人を引き連れてやって来られます。』」

 

 エサウが嬉しそうに見えたというのは、ヤコブには何の慰めにもなりませんでした。エサウが復讐をするためのチャンスに喜んでいるのかもしれないからです。どちらにしても、あわれなヤコブはあわてていました。

 

(創世記32:7-8)「そこでヤコブは非常に恐れ、心配した。それで彼はいっしょにいる人々や、羊や牛やらくだを二つの宿営に分けて、『たといエサウが来て、一つの宿営を打っても、残りの一つの宿営はのがれられよう』と言った。」

 

 彼がグループをふたつに分けた理由は、もし兄がひとつのグループを打っても、もうひとつはのがれることができる、というものでした。さて今、ヤコブが何をするか見てください。彼は困り果てて、神さまに嘆願します。

 

(創世記32:9-10)「そうしてヤコブは言った。『私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に「あなたの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなたをしあわせにする」と仰せられた【主】よ。私はあなたがしもべに賜ったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。私は自分の杖一本だけを持って、このヨルダンを渡りましたが、今は、二つの宿営を持つようになったのです。』」

 

 ヤコブの生涯にちょっとした変化が起こっていることが感じられますね。彼が「私はあなたがしもべに賜ったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です」と言うのを聞くのはこれが初めてです。初めて、彼は自分が神さまの前に罪人であるかもしれないと認めているのです。私たちはみんな、“恵みによって救われた”罪人なのです。この男、ヤコブは今自分が恵みとまことを受けるに足りない者であると言い始めました。だれでもそれを根拠に神さまに近づくなら、神さまはその人と対話してくださいます。

 

(創世記32:11-12)「『どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子どもたちまでも打ちはしないかと、私は彼を恐れているのです。あなたはかつて「わたしは必ずあなたをしあわせにし、あなたの子孫を多くて数えきれない海の砂のようにする」と仰せられました。』」

 

 ヤコブは本当に神さまに叫び求めています。その夜は、彼にとって本当につらい晩でした。その頭痛の種をいやす薬さえ、彼は持っていませんでした。

 

(創世記32:13-15)「その夜をそこで過ごしてから、彼は手もとの物から兄エサウへの贈り物を選んだ。すなわち雌やぎ二百頭、雄やぎ二十頭、雌羊二百頭、雄羊二十頭、乳らくだ三十頭とその子、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭。」

 

 ヤコブはここで、ずいぶん気前良く家畜を送ろうとしていますね。

 

(創世記32:16)「彼は、一群れずつをそれぞれしもべたちの手に渡し、しもべたちに言った。『私の先に進め。群れと群れとの間には距離をおけ。』」

 

 エサウがヤコブと家族がいることろに着く頃には、彼は穏やかになっているに違いありません。彼は自分でこれらのてはずを整えました。これは神さまをまったく信頼していない証拠です。私たちもよく同じような状況に陥りますね。多くの人たちが祈りによって重荷を主のところに持って行きます。ただ、神さまの御前にその重荷を広げます。私はそうしますね。そして祈り終わると、さっさと立って、小さな重荷のひとつひとつをまた背中に乗せ、それを持って出て行きます。私たちは本当に神さまを信じていないんじゃないでしょうか?私たちは本当に信頼しなければならないほど神さまを信頼していませんね。

 

(創世記32:17-20)「また先頭の者には次のように命じた。『もし私の兄エサウがあなたに会い、「あなたはだれのものか。どこへ行くのか。あなたの前のこれらのものはだれのものか」と言って尋ねたら、「あなたのしもべヤコブのものです。私のご主人エサウに贈る贈り物です。彼もまた、私たちのうしろにおります」と答えなければならない。』彼は第二の者にも、第三の者にも、また群れ群れについて行くすべての者にも命じて言った。『あなたがたがエサウに出会ったときには、これと同じことを告げ、「あなたのしもべヤコブは、私たちのうしろにおります」と言え。』ヤコブは、私より先に行く贈り物によって彼をなだめ、そうして後、彼の顔を見よう。もしや、彼は私を快く受け入れてくれるかもわからない、と思ったからである。」

 

 エサウは、次から次にそのような家畜の群れに出会うはずでした。これがヤコブの計画です。

 

(創世記32:21-23)「それで贈り物は彼より先を通って行き、彼は宿営地でその夜を過ごした。しかし、彼はその夜のうちに起きて、ふたりの妻と、ふたりの女奴隷と、十一人の子どもたちを連れて、ヤボクの渡しを渡った。彼らを連れて流れを渡らせ、自分の持ち物も渡らせた。」

 

 これは、ヤコブの生涯の素晴らしい経験の夜です。ヤボクの渡しを渡った向こう側の地は、非常に荒れ果てています。その夜、ヤコブはすべてのものをヤボクの渡しの向こう側に行かせましたが、彼は反対側に留まりました。そうすれば、兄エサウが来ても、ヤコブは殺すかもしれませんが、家族は助けてくれることでしょう。そして、ヤコブはひとり残されました。

 

(創世記32:24)「ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。」

 

 その夜、彼はひとりになりたくてそこにひとりでいたのです。けんかしようと相手を捜していた訳ではありません。あの夜、ヤコブと格闘した、この人物は一体誰でしょう?色々な憶測がされてきましたが、私はほかでもない、受肉される前のキリストだと思います。(ホセア2:1-5)「その呼び名は【主】。」その夜にヤコブと格闘したのは、ほかでもない、エホバであり、受肉前のキリストでした。

 

(創世記32:25)「ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。」

 

 ヤコブは簡単に放棄したりはしません。ヤコブはそのような人間ではありません。そしてヤコブは主と争いました。最後に、この方はヤコブのもものつがいを打ちました。

 

(創世記32:26)「するとその人は言った。『わたしを去らせよ。夜が明けるから。』しかし、ヤコブは答えた。『私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。』」

 

 神さまとどこかにたどり着きたいのなら、神さまに明け渡し、ただ神さまにしがみつくことだけがその方法です。アブラハムは進退窮まって神さまにすがりました。アナタも、そのような状況になったら、神さまを信頼するでしょう。あなたがすすんでしがみつくなら、神さまはアナタを助ける用意ができているのです。

 

(創世記32:27-28)「その人は言った。『あなたの名は何というのか。』彼は答えた。『ヤコブです。』その人は言った。『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。』」

 

 彼はもう、ヤコブ、つまり横取りする者、ペテン師ではありません。イスラエル、すなわち「あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」今、イスラエルとしての新しい性質がこの人の生涯に現れてきます。

 

(創世記32:29-30)「ヤコブが、『どうかあなたの名を教えてください』と尋ねると、その人は、『いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか』と言って、その場で彼を祝福した。そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。『私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた』という意味である。」

 

 ヤコブは主の御使い、つまり受肉される前のキリストを見ました。

 

(創世記32:31-32)「彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。それゆえ、イスラエル人は、今日まで、もものつがいの上の腰の筋肉を食べない。あの人がヤコブのもものつがい、腰の筋肉を打ったからである。」

 

  神さまが彼をどのように扱われるかを見てください。神さまはヤコブのもものつがいに触れます。神さまの指がほんのちょっと触っただけで、彼はどうすることもできなくなりました。ヤコブは神さまにしがみついています。争いと戦いは終わりました。これ以降、ヤコブは神さまに頼る霊的な性質を表すようになります。この人、ヤコブは何度も古いやりかたに落ち込みはしますが、ここからは何か、違うものを彼の中に見るようになります。彼の物語が終わる前に、彼が神の人であることが分かります。このあと、エジプトに下って行くまで、彼は信仰の人です。最初は肉の人、そして戦い、争う人、そして最後に信仰の人です。(ローマ7:25)キリストによって神さまに感謝しなければなりません。なぜなら、あなたの助けが来るのはキリストをとおしてだからです。私たちすべてにとってそうなのです。私たちには古い性質があり、その性質は神さまを喜ばせることをなにひとつすることができません。事実パウロはさらに進んで、古い性質は神さまに逆らっていると言っています。(ローマ8:7-8)アナタと私が神さまに明け渡さない限り、神さまを喜ばせることはできません。“明け渡す”とは、生まれ変わった人が自分の意思で自分を神さまのみこころに従わせるということです。ヤコブがしたのはまさにそのことです。ヤコブが勝ちました。でも、彼が勝利を得たのは、戦いと争いによってではなく、“明け渡すこと”によってです。(Iコリント10:11)、これらのことが昔の人々に起こったのは、私たちの見本となるため。

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「創世記」をお読みください。

 

― 特別聖書集会のご案内 香川県高松木太キリスト教会 -

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6月3日(金) ① 19:30~20:30

6月4日(土) ② 14:00~15:00  ③ 19:30~20:30  

6月5日(日) ④ 10:00~11:00  ⑤ 14:00~15:00

 

是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください! 

 

神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。

 

    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

※ 約12分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。

救いの福音のメッセージ文書版です。是非お読みください。

 

イエス・キリストは、皆さまを救う救い主です。人形劇を行いました。お子様と一緒にご覧ください。

 

 

 

是非これを読まれた方が主イエス・キリストを信じ救われることを心より願っております。罪のゆるしについて、死後のさばき(永遠の地獄)からの救いについて、真剣に考えたい方、話を聞きたい方は是非プロフィールクリック→メッセージください。あなたがどうすれば救われるのか一緒に考えさせてください。

 

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イグアスの滝(自分で撮った写真です。)悪魔の喉笛です。

~一番ポピュラーな、悪魔の喉笛の由来は、その下の岩に打ち付ける滝の音が、悪魔が唸り声を上げている様に聞こえるから...~