- 37章 ヨセフの夢 -
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※ 神について、神とあなたの関係についてのあなたの人生にとって一番重大な質問
ここから創世記の最後まで、主人公はヨセフになります。おそらく、いくつかの理由があるでしょう。ひとつは、ヨセフの生涯は、良い、敬意を払うべき生涯です。彼は、次の聖句の生きた見本です。
(ピリピ4:8)「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正し
いこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」
第二の理由は素晴らしいものです。聖書の中に、ヨセフほど人格的にまた、経験的にキリストに似ている人はほかにいません。
(創世記37:1)「ヤコブは、父が一時滞在していた地、カナンの地に住んでいた。」
ヤコブはどうやら、ベツレヘムの南に越してきて、へブロンにやって来たようです。ここはアブラハムが住んでいたところです。ここは交わりの場所、神さまと親しく語り合う場所です。
(創世記37:2)「これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。」
ヤコブの子どもたちは、ヨセフとベニヤミンを除いて、本当に問題児だったことが分かります。彼らが神さまのレッスンを学ぶには、長いことかかりました。ベニヤミンはまだ小さすぎて、家にいました。ヨセフは兄弟の悪いうわさを父に報告しました。もちろん彼らはそれが気に入りませんでした。彼らはヨセフを言いつけっ子と呼んだに違いありません。
(創世記37:3)「イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。」
ヤコブは自分自身の家族のことから、教訓を得ているべきでしたね。彼は家族にお気に入りがいるとトラブルになることを知っていました。ヤコブの父親は兄をひいきしましたから、ヤコブは差別されるのがどういうことか、知っていたのです。ところが、彼は同じことをしています。誰かのコートにそでをつけるということは、他の人たちよりもその人を目立たせることになります。そして確かに、色つきのコートは彼を他の人たちと区別することになったことでしょう。
(創世記37:4)「彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。」
罪は人生を滅ぼし、家族を滅ぼし、社会を滅ぼし、そして国々を滅ぼします。これが今日のわたしたちの家族、町々、国々の問題なのです。原因はたったひとつ。神さまはその原因を“罪”と呼ばれます。兄弟たちは彼への憎しみのゆえにヨセフを差別しているのです。
(創世記37:5-6)「あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。ヨセフは彼らに言った。『どうか私の見たこの夢を聞いてください。』」
最終的には、彼はおそらくこの世のことと人間の邪悪さが他の人たちと同じように分かったことでしょう。でもそれはあとのことで、このときはまだ分かっていなかったのです。ヤコブは愛情をこの子ヨセフに注ぎます。そうするべきではありませんでしたね。
(創世記37:7-8)「『見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。』兄たちは彼に言った。『おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。』こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。」
ヨセフが彼らを支配するなんてことは、彼らは本当に信じてはいませんでした。それでも、こんな夢を見たことで彼らはヨセフを憎みました。
(創世記37:9-11)「ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、『また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです』と言った。ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。『おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。』兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。」
(黙示録12:1)「また、巨大なしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」
これはイスラエルの国を表します。兄たちはヨセフが彼ら自身のこと、つまりイスラエルの息子たちのことを話していると分かりました。彼らが考える限り、そんなことは起こりえないことです。だれがヨセフになど頭を下げるものかと彼らは思っていました。でも、ヤコブはこのことを心に留めていました。
(創世記37:12)その後、兄たちはシェケムで父の羊の群れを飼うために出かけて行った。
このとき、ヤコブと彼の家族は、エルサレムから南に30キロ以上離れたへブロンのあたりに住んでいました。そしてシェケムはエルサレムのずっと北ですから、息子たちは家からずいぶん離れたところで羊を放牧していました。彼らは羊をその一帯全部に放していたようです。
(創世記37:13)「それで、イスラエルはヨセフに言った。『おまえの兄さんたちはシェケムで群れを飼っている。さあ、あの人たちのところに使いに行ってもらいたい。』すると答えた。『はい。まいります。』」
ヨセフは「はい。まいります」と言いました。彼は父に非常に従順ですね。
(創世記37:14)「また言った。『さあ、行って兄さんたちや、羊の群れが無事であるかを見て、そのことを私に知らせに帰って来ておくれ。』こうして彼をヘブロンの谷から使いにやった。それで彼はシェケムに行った。」
ヨセフはへブロンからずうっとシェケムまで旅をしました。シェケムに着いたとき、彼らを捜し始めました。そこはごつごつした地形で、ヨセフは彼らを見つけることができませんでした。
(創世記37:15)「彼が野をさまよっていると、ひとりの人が彼に出会った。その人は尋ねて言った。『何を捜しているのですか。』」
この人はヨセフが彼のテントのそばを何度も通るのを見たのでしょう。彼はヨセフが誰を捜しているか訊ねました。
(創世記37:16-17)「ヨセフは言った。『私は兄たちを捜しているところです。どこで群れを飼っているか教えてください。』するとその人は言った。『ここから、もう立って行ったはずです。あの人たちが、「ドタンのほうに行こうではないか」と言っているのを私が聞いたからです。』そこでヨセフは兄たちのあとを追って行き、ドタンで彼らを見つけた。」
ドタンはシェケムのずっと北です。それはエスドラエロンの谷の近くで、兄たちはそこに羊を連れて行ったのでした。そしてやっとヨセフは兄たちをみつけました。彼らはそこにいました。
(創世記37:18-20)「彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。彼らは互いに言った。『見ろ。あの夢見る者がやって来る。さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。』」
彼らはどれほどヨセフを憎んでいたことでしょう!家から160キロも離れたところで、彼らはお互いに「あいつを片付けちまおうぜ。そうしたら、あいつの夢はどうなるのか、見てみようじゃないか!」と言い合っています。ヨセフと主イエスの比較を見ていただきたいと思います。1.ヨセフの“誕生”は、祈りに対する神さまからの介入による、という点で奇蹟的でした。2.ヨセフは父に“愛されていました”。主イエスは父なる神に“愛されていました”。3.ヨセフは彼を他の人たちと区別する色つきの長服を持っていました。キリストは「罪人から離れている」(訳注:罪がない)ことで区別されています。4.ヨセフは自分の兄弟たちを“治める”と言いました。主イエスはご自分をメシヤとして紹介されました。5.ヨセフは父に“送られて”兄弟たちのところに行きました。イエスさまはご自分の兄弟たち、イスラエルの家の失われた羊たちのところに最初に“送られ”ました。6.ヨセフはいわれなく兄弟たちに“憎まれました”。主イエスはご自分の兄弟たちにいわれなく“憎まれました”。ヨセフは例の色つきの長服、またはそでつきの長服を着ています。これは彼の地位のしるしでした。ヨセフは兄たちよりも年下でしたが、彼の地位は彼らの上だったということを忘れてはなりません。そして、殺人にいたるほどの憎しみと嫉妬があったのです!
(創世記37:21)「しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、『あの子のいのちを打ってはならない』と言った。」
ルベンはすでに長子としての地位を失っています。でも、ここでは良い見解に立っていますね。他の兄たちよりも、成熟した判断をしています。もし、ルベンがこう言わなかったら、彼らはその場ですぐにヨセフを殺していたかもしれません。
(創世記37:22)「ルベンはさらに言った。『血を流してはならない。彼を荒野のこの穴に投げ込みなさい。彼に手を下してはならない。』ヨセフを彼らの手から救い出し、父のところに返すためであった。」
ヨセフが穴に投げ込まれたあと、戻ってきて穴から助け出し、父のいる家に連れ帰ることがルベンのはっきりした目的でした。
(創世記37:23)「ヨセフが兄たちのところに来たとき、彼らはヨセフの長服、彼が着ていたそでつきの長服をはぎ取り、」
ヨセフが来ていたコートは、雄牛の前に赤い布をひらひらさせるようなものでした。これがヨセフを彼らから区別するものだったので、彼らはこのコートを憎んでいました。長男相続法によれば、年上の兄弟に請求権があります。ですから、彼らはヨセフからこの憎らしいコートを剥ぎ取りました。
(創世記37:24-25)「彼を捕らえて、穴の中に投げ込んだ。その穴はからで、その中には水がなかった。それから彼らはすわって食事をした。彼らが目を上げて見ると、そこに、イシュマエル人の隊商がギルアデから来ていた。らくだには樹膠と乳香と没薬を背負わせ、彼らはエジプトへ下って行くところであった。」
そこに商人たちのキャラバンが通りかかりました。
(創世記37:26-27)「すると、ユダが兄弟たちに言った。『弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。』兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。」
彼は自分の手をヨセフの血で染めたくありませんでした。兄弟たちが望んでいたのは、ヨセフをどこかへやってしまおうということでしたから、ユダの提案に満足しました。どのようにして目的が達せられてもかまいません。イシュマエル人なら、ヨセフをエジプトに連れて行って奴隷として売るだろうと思いました。少なくとも、ヨセフはどこかに行きます。大抵の場所では、奴隷になることは死を意味しましたから、二度とヨセフからの便りを聞くことはないでしょう。
(創世記37:8)「そのとき、ミデヤン人の商人が通りかかった。それで彼らはヨセフを穴から引き上げ、ヨセフを銀二十枚でイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。」
ここできっとアナタは、創世記の著者のモーセは、どっちにするか決めて欲しい、と思われるでしょう。最初、彼らをイシュマエル人と呼び、次にはミデヤン人と呼び、またそのあと彼らをイシュマエル人と呼んでいます。彼らは誰なんでしょう?これは聖書の中の間違いでしょうか?イシュマエルはハガルによるアブラハムの息子で、ミデヤンはサラの死後にアブラハムがめとったケトラによる彼の息子です。この頃の旅は危険でした。彼らは砂漠を渡ってエジプトまで行くのです。彼らは安全のためと、共通の利害関係のために一緒に旅をしました。彼らはエジプトに出張に行くのですが、親戚でもあるし、お互いを理解できるので、一緒に旅をしたのですね。モーセは状況が良く分かっていて、正確に書いたのだということが分かりますね。
(創世記37:29-31)「さて、ルベンが穴のところに帰って来ると、なんと、ヨセフは穴の中にいなかった。彼は自分の着物を引き裂き、兄弟たちのところに戻って、言った。『あの子がいない。ああ、私はどこへ行ったらよいのか。』彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎをほふって、その血に、その長服を浸した。」
聖書には、ルベンに彼らがヨセフに何をしたかを話したかどうかが書かれていませんが、私は彼らが話したと思います。そしておそらく、いまさら商人たちを追いかけても、もうずっと先へ行ってしまったから無駄だよ、と言ったことでしょう。ルベンはヤコブに話すつくりごとを彼らと一緒に考えるしかありませんでした。
(創世記37:32)「そして、そのそでつきの長服を父のところに持って行き、彼らは、『これを私たちが見つけました。どうか、あなたの子の長服であるかどうか、お調べになってください』と言った。」
賢いですよね?彼らはまるでヨセフにはぜんぜん会わなかったように振舞います。このコートを見つけただけだという振りをします。彼らがその憎らしいコートを見分けられないはずがありません!でも、彼らは分からない振りをして、父に分かりますかと訊ねます。ヤコブはそれが誰のものか知っていました。彼は自然な結論、つまり兄たちがそのように仕組んだ結論に達します。
(創世記37:33)「父は、それを調べて、言った。『これはわが子の長服だ。悪い獣にやられたのだ。ヨセフはかみ裂かれたのだ。』」
リベカとヤコブが共謀したとき、彼らは子ヤギの肉をおいしい料理に使い、ヤギの皮をヤコブの手と腕につけて父親をだましたことを思い出してください!今、ヨセフの兄たちは、自分たちの父親、ほかでもないヤコブをだますためにヤギの血を使っています。彼らはコートを渡して、「これに見覚えがありますか?山の中で見つけたのです。野獣にやられたようですね」と言います。年老いたヤコブは、息子ヨセフは殺されたのだという結論に達しました。良く注意して見てください。ヤコブは自分がだましたと全く同じようにだまされています。(ガラテヤ6:7)何か他のものではなく、何か似たようなものでもなく、そのとおりのものを刈り取るのです。このヤコブはいくつか悪いものを蒔きました。彼は欺きました。そして今、自分が父親になって、何年も前に自分が父を欺いたのと全く同じ方法で、自分が欺かれています。
(創世記37:34-35)「ヤコブは自分の着物を引き裂き、荒布を腰にまとい、幾日もの間、その子のために泣き悲しんだ。彼の息子、娘たちがみな、来て、父を慰めたが、彼は慰められることを拒み、『私は、泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい』と言った。こうして父は、その子のために泣いた。」
ヤコブがまだ信仰の歩みを学んでいないことがこれで明らかです。ペヌエルでの彼の経験を覚えているでしょう。それは古い自我がぺちゃんこになる経験でした。肉はそこで崩れましたが、今彼は信仰によって歩むことを学ばなければなりません。まだそれを学んでいないのです。事実、ヤコブの信仰についてはへブル人への手紙の11章で言及されていますが、彼が死ぬときの信仰の実例が出てきているだけです。(へブル11:21)アナタが嘆くことでその愛する人を生き返らせることはできないと認めるとき、アナタは信仰を明らかにするのです。嘆きは何にもなりません。もしアナタが神さまの子どもであり、神さまの子どもである人のことで嘆いているなら、信仰によって歩んでください。アナタは再びその人に会います。そのときには二度と分かれることはありません。この世(の人々)には信仰はありません。彼らは望みのないものとして嘆きます。クリスチャンのアナタ。“アナタ”は信仰によって歩むことができるのです。
(創世記37:36)「あのミデヤン人はエジプトで、パロの廷臣、その侍従長ポティファルにヨセフを売った。」
さて、この章の最後の節はヨセフについてエジプトに下ります。
※ 是非、引き続きブログテーマ「創世記」をお読みください。
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イグアスの滝(自分で撮った写真です。)悪魔の喉笛です。
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