-  49章 ヤコブの死の床での祝福と預言。ヤコブの最後のことばと死。 -

※下記サイトの内容を掲載しております。

 

※ 神について、神とあなたの関係についてのあなたの人生にとって一番重大な質問

 

今、12人の息子たち全員がヤコブを取り巻いています。彼は息子たちひとりひとりに送別のメッセージをします。一番年上から始めて、下へおりていきます。人が死の床で語ることは重要です。なぜなら、一般的に人が死の床で話すことは本当のことだからです。この死の床でのメッセージは預言的なので、劇的です。ヤコブの12人の息子たちが民族になったときに何が起こるかを語ります。このときに預言的だったものは、もうすでにほとんど成就して歴史的になりました。これはヤコブの生涯で彼のもうひとつの信仰の証拠を見る最後のチャンスです。彼は、イスラエル民族の12部族となってカナンの地に住むようになる息子たちに話をします。なんという信仰でしょう!このときには約束の地にはカナン人がいて、エジプトでのほうがヤコブの家族は良い立場に立っていました。

 

(創世記49:1)「ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。『集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう。』」

 

 今ヤコブが話しているのはイスラエル民族の終わりの日のことで、彼の息子たちから起こって民族になろうとしている12部族にそのときに何が起こるかを語っているのです。この章では「終わりの日」にそれぞれの部族に何が起こるかを見ていきます。

 

(創世記49:2)「ヤコブの子らよ。集まって聞け。あなたがたの父イスラエルに聞け。」

 

 死は一番不都合なときにやってきます。この地上でもっと続けて動いていたいときにやって来るのです。ヤコブは自分はこれ以上はムリだということに気づきました。彼は杖に寄りかかっています。このまま続けていきたいのですが、できません。ヤコブはいろんな意味で素晴らしい人ですね。

 

(創世記49:3-4)「ルベンよ。あなたはわが長子。わが力、わが力の初めの実。すぐれた威厳とすぐれた力のある者。だが、水のように奔放なので、もはや、あなたは他をしのぐことがない。あなたは父の床に上り、そのとき、あなたは汚したのだ。──彼は私の寝床に上った──」

 

 「水のように奔放」とは、若いころのヤコブを説明しているようです。彼の長男も同じでした。「あなたは他をしのぐことがない。」ルベンは一度も他をしのいだことがありませんでした。神さまは私たちが人の罪にこだわることを良しとされません。事実、神さまは、これらの指導を私たちにくださいました。

 

(ピリピ4:8)「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」


神さまが人間の罪を記録しておられるのは、私たちが

神さまが人間の罪を記録しておられるのは、私たちが人類という種族の正しい描写を持つためなのです。

 

(創世記49:5)「シメオンとレビとは兄弟、彼らの剣は暴虐の道具。」

 

5 その町のひとりの男が自分たちの妹を犯したからというので、ふたりがシェケムの町シャレムに行って、町の住人を皆殺しにしたことを覚えていますね?彼らは町全体に復讐をしたのです!彼らはもちろんそんなことをするべきではありませんでした。ヤコブはそのことを彼らに注意しています。

 

(創世記49:6-7)「わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。わが心よ。彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったから。のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。」

 

 残虐なレビのような人物をして、祭司の部族の頭とされるのは、神さまの恵みにほかなりません。私たちのような罪人を祭司の王国と変えられるのは、神さまの恵みですよ。今日、すべての信者は祭司です。

 

(Iペテロ1:18-19)「ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」

(Iペテロ2:5)「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」

 

ペテロは誰のことを言っているのでしょう?キリストの尊い血によって贖われた人々のことを言っているのです。

 

(創世記49:8)「ユダよ。兄弟たちはあなたをたたえ、あなたの手は敵のうなじの上にあり、あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。」

 

 「あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。」なぜでしょう?主イエス・キリストはユダの家系から出ましたから、主の前にすべての人が伏し拝むのです。

 

(創世記49:9)「ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。」

 

 ここに、聖書の中でもっとも素晴らしい預言のひとつが書かれています。

 

(創世記49:10)「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。」

 

 「ついにはシロが来て」シロは統治者です。これはすべての神さまのことばの中でもより素晴らしい預言のひとつです。すでに私たちは、女の子孫が出てくることを聞かされました。それがキリストに関する最初の預言でした。

 

(創世記3:15)「『わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。』」

 

おんなの“子孫”がヘビの頭を踏み砕く方です。この方が勝利を収められます。

 

(マタイ11:28)「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

 

これがシロです。シロがやって来たのです。さらに、シロということばは、「休息と静けさ」を意味します。キリストは、休息をもたらされる方です。このシロは羊飼いであり、また岩でもあるのです。キリストが来られることがすべて何を意味するか、考えてください。主は女と族長たちとに約束された“子孫”です。主は安息をもたらす“シロ”です。主は統治者の杖を持つ“王”です。主はご自分のいのちを与える“羊飼い”、そしていつの日にか来られる“羊飼い”のかしらです。

 

(創世記49:11-12)「彼はそのろばをぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を、良いぶどうの木につなぐ。彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗う。その目はぶどう酒によって曇り、その歯は乳によって白い。」

 

 これは、誰のことを言っているのでしょう?これは、子ロバに乗ってエルサレムに入られるキリストです。このキリストはご自分をメシヤ、王、そして救い主として人々にお与えになりました。「彼はその着物を、ぶどう酒で洗い」どんな種類のワインでしょう?血です。ご自身の血です。この次のキリストがこられるとき、キリストの着物は赤いのです。

 

(イザヤ63:2)「なぜ、あなたの着物は赤く、あなたの衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」

 

そのときは、ご自分の血ではなく、キリストの敵の血で赤いのです。これは、キリストがさばきのために再臨されることを予告しています。ユダに与えられた預言は、聖書の中でももっとも素晴らしい預言のひとつです。

 

(創世記49:13)「ゼブルンは海辺に住み、そこは船の着く岸辺。その背中はシドンにまで至る。」

 

 ゼブルンは、約束の地の北部の海辺に住む部族でした。

 

(創世記49:14-15)「イッサカルはたくましいろばで、彼は二つの鞍袋の間に伏す。彼は、休息がいかにも好ましく、その地が、いかにも麗しいのを見た。しかし、彼の肩は重荷を負ってたわみ、苦役を強いられる奴隷となった。」

 

 イッサカルも、最終的にこの地の一番北のほうに陣取りました。彼らは、国のバックボーンを建てるためにとてもたくさんの仕事をした人たちです。ここに言われているのは彼らが労働者だということです。私たちが見過ごしてしまうようなゼブルンやイッサカルのような小さな部族が、彼らが約束の地に落ち着くときにイスラエルの国の本当のバックボーンになったのです。

 

(創世記49:16)「ダンはおのれの民をさばくであろう、イスラエルのほかの部族のように。ダンは、道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむしとなって、馬のかかとをかむ。それゆえ、乗る者はうしろに落ちる。【主】よ。私はあなたの救いを待ち望む。」

 

 ダンには主の救いが必要になります。なぜなら、ダンが実際に反乱を導く部族のひとつとなるからです。聖書を通して学んでいくなかで、いずれそれがわかりますよ。

 

(創世記49:19)「ガドについては、襲う者が彼を襲うが、彼はかえって彼らのかかとを襲う。」

 

 ガドも、北部に定住したもうひとつの部族です。実際、ダンがもっとも北部に位置するので、イスラエルの地の広がりを説明するときには、「ダンからべエル・シェバまで」と表現されます。

 

(創世記49:20-21)「アシェルには、その食物が豊かになり、彼は王のごちそうを作り出す。ナフタリは放たれた雌鹿で、美しい子鹿を産む。」

 

 これからあとの聖書の中で、聖書が個人的に取り扱っている人はみんな、これらのイスラエルの部族から出ている人たちです。

 

(創世記49:22)「ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。」

 

 ヨセフはカナンの地を去ってエジプトに下りましたが、そこでもやはり彼は神さまの証人でした。のちに、彼の息子たちの部族エフライムとマナセはあとの歴史の中でサマリヤと呼ばれる領域に入ります。キリストの時代には、そこは異邦人の領域と呼ばれていました。そこは証しをするのにとてもよい場所でした。そして福音はその地域にも確かに入っていきました。私たちの主ご自身もそこでミニストリーをされました。ヨハネ4章に、主が井戸のところで会った女から始めて、サマリヤの人々に証しされることが記録されています。

 

(創世記49:23)「弓を射る者は彼を激しく攻め、彼を射て、悩ました。しかし、彼の弓はたるむことなく、彼の腕はすばやい。これはヤコブの全能者の手により、それはイスラエルの岩なる牧者による。あなたを助けようとされるあなたの父の神により、また、あなたを祝福しようとされる全能者によって。その祝福は上よりの天の祝福、下に横たわる大いなる水の祝福、乳房と胎の祝福。」

 

 ヨセフから出たふたつの部族、エフライムとマナセはとても立派で大切な部族です。彼らから、分割された王国が出てくるのです。彼らはそれほど力に満ちていました。

 

(創世記49:26)「あなたの父の祝福は、私の親たちの祝福にまさり、永遠の丘のきわみにまで及ぶ。これらがヨセフのかしらの上にあり、その兄弟たちから選び出された者の頭上にあるように。」

 

 ヤコブは、ヨセフと彼から出るふたつの部族を、イスラエルの神さま、創造主、贖い主である方に結び付けなおそうとしています。なぜでしょう?これらの部族、特にエフライムはイスラエルを偶像礼拝に引き込みます。反乱軍を率い、イスラエルの地境にふたつの金の子牛を置いたヤロブアムはエフライム族から出ました。ですから、自分の死の床で、ヤコブは彼らを自分の父の神さまに呼び戻しています。

 

(創世記49:27)「ベニヤミンはかみ裂く狼。朝には獲物を食らい、夕には略奪したものを分ける。」

 

 ベニヤミンに関するこの預言は不思議な預言です。ベニヤミンはユダととても近しく、のちに王国が分裂したとき、ベニヤミンはユダ部族につきます。ベニヤミン部族だけがダビデの家と行動をともにしたのです。

 

(創世記49:29)「彼はまた彼らに命じて言った。『私は私の民に加えられようとしている。私をヘテ人エフロンの畑地にあるほら穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。』」

 

 私たちはヤコブの死がすべての終わりではないことが分かります。彼は先祖たちと一緒になります。彼はアブラハムが買って代価を払ったほら穴に自分の遺体を葬って欲しいと願います。彼は、死からよみがえってその地に住むようになるまで、確かにその地に留まることを願っているのです。

 

(創世記49:30)「『そのほら穴は、カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地にあり、アブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買い取ったものだ。』」

 

 ヤコブがどれほど自分の家族の歴史を知っているかがわかりますね。このとき、文章に書かれた記録を持って歩いていたとは思えませんが、それでもこの情報を彼は心に刻んでいたのですね。

 

(創世記49:31)「『そこには、アブラハムとその妻サラとが葬られ、そこに、イサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った。』」

 

 別にレアの横に埋葬されることに興味があったわけではありません。ラケルはベツレヘムに葬られていますし。神さまがイスラエル民族への約束を成就されるときにその場にいられるように、よみがえりのときに死からよみがえらされる場所に埋葬して欲しかったのです。

 

(創世記49:32-33)「『その畑地とその中にあるほら穴は、ヘテ人たちから買ったものである。』ヤコブは子らに命じ終わると、足を床の中に入れ、息絶えて、自分の民に加えられた。

 

 最期の最期までヤコブが自分の足を床につけていたというのは、興味深いことです。彼は肉にある人として生涯を始めました。彼は、兄のかかとをつかんで生まれたので、“ヤコブ”、つまり「押しのける者」と呼ばれました。彼は彼の性質そのままの、その名のとおりに生きました。自分の手に入るものは手放さず、いつも一番になろうとしました。よつんばいから始まって、どのような手を使ってでも欲しいものは手に入れました。

 

若いときには、自分の力と能力によって自分の二本の足で歩きました。彼はじぶんの小ざかしさと器用さに頼っていました。彼は自分のことは自分でできるさ、神さまなんかいらない、と思っていました。彼は、自己過信していて、うぬぼれで、自我が強く、攻撃的で、軽蔑すべき卑劣な人間でした。

 

ペヌエルで神さまは彼に障害を与えられました。神さまが彼を捕まえるためには、彼を「砕く」必要がありました。私は、必要なら神さまは彼の首を砕くこともされたと思いますよ!そのあとの彼は、足をひきずりながら生活しました。彼は杖かステッキを使って三本足で歩かなければなりませんでした。なぜなら、自分の足だけで歩くことができなくなってしまったからです。ここで、死を目前にしてヤコブは杖に寄りかかってベッドに座っています。さあ、ときが来ました。彼は足を床の中に入れ、杖を下ろして死ぬために横たわります。これがヤコブです。彼は人生を長いこと歩いてきました。彼は、神さまの約束によって約束の地で死からよみがえらされるときを心待ちにしながら、最後の信仰の幕を下ろします。

 

(へブル11:13)「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「創世記」をお読みください。

 

― 特別聖書集会のご案内 香川県高松木太キリスト教会 -

SnapCrab_NoName_2022-4-28_21-50-58_No-00.png

 

 

6月3日(金) ① 19:30~20:30

6月4日(土) ② 14:00~15:00  ③ 19:30~20:30  

6月5日(日) ④ 10:00~11:00  ⑤ 14:00~15:00

 

是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください! 

 

神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。

 

    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

※ 約12分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。

救いの福音のメッセージ文書版です。是非お読みください。

 

 

 

是非これを読まれた方が主イエス・キリストを信じ救われることを心より願っております。罪のゆるしについて、死後のさばき(永遠の地獄)からの救いについて、真剣に考えたい方、話を聞きたい方は是非プロフィールクリック→メッセージください。あなたがどうすれば救われるのか一緒に考えさせてください。

 

 現在ランキング1位! クリックをお願いします!

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ 現在PVランキング1位! クリックをお願いします!
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

イグアスの滝(自分で撮った写真です。)悪魔の喉笛です。

~一番ポピュラーな、悪魔の喉笛の由来は、その下の岩に打ち付ける滝の音が、悪魔が唸り声を上げている様に聞こえるから...~