-  イントロダクション -

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※ 神について、神とあなたの関係についてのあなたの人生にとって一番重大な質問

 

 年代的には、マルコの福音書が最初に書かれた福音書です。この福音書を書いたマルコは、新約聖書の著者たちの中で、実際に使徒ではなかった人物のひとりです。マタイも、ヨハネも、もちろん使徒でした。ルカは、使徒パウロととても近しい、親友でした。彼はシモン・ペテロの霊的な息子だったようです。なぜなら、ペテロがI ペテロの手紙5:13で次のように書いているからです。

 

(I ペテロ5:13)「バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。」

 

 ヨハネ・マルコは第一回の宣教旅行の前にパウロとバルナバに加わりました。使徒行伝13:5には、こう書かれています。でも、彼は実際どうも今日私たちが言う「臆病」とか「腰抜け」だったようで、パンフリヤのペルガで引き返してしまったのです。ヨハネ・マルコが引き返してしまったことに関しては、彼のために言い訳をする必要はないでしょう。彼には彼の理由があったのでしょうが、バルナバ伯父さんが彼を連れて行きたかったのにも関わらず、パウロは第二回の宣教旅行に彼を連れて行くことはしたくありませんでした。バルナバは、素晴らしい人物で、いつも赦す準備ができていました。でも、パウロは違いました。使徒行伝15:37-38にはこう書かれています。

 

(使徒行伝15:37-38)「ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。」

 

 私たちが知っているのは、ヨハネ・マルコは(そのあと)成功したということです。パウロが、最後の手紙を書いたとき、II テモテ4:11でこう言っています。

 

(II テモテ4:11)「ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」

 

 なぜ、4つの福音書があるのでしょうか?理由のひとつは、それぞれが違う人たちにあてて書かれたということです。マタイはイスラエル民族のために書かれました。マタイは宗教的な人たちのために書かれています。マルコは、特にローマ人のために書かれたもので、ローマ時代にぴったりでした。マルコは、特にローマ人のために書かれたもので、ローマ時代にぴったりでした。マルコは強い人のために書かれています。ローマ人は1000 年に渡って世界を治めました。マルコの福音書はそのような人々にあてて書かれました。ローマ人が実際に世界を征服していました。シーザーたちが支配した当時、世界はあわれみを求めましたが、彼らに与えられたものは、力だけでした。誰もあえてその力に逆らう者はありませんでした。なぜなら、逆らうことは死を意味したからです。そこから逃れることは不可能でした。その支配の向こう側に出ることはできませんでした。

 

 こういう当時に、その人々に対して神さまはメッセージを送られ、その著者がヨハネ・マルコなのです。私たちはヨハネ・マルコを通してシモン・ペテロの福音書を受けたのです。主はマタイの福音書では王です。主はマルコの福音書ではしもべです。でも、主は人に仕えるしもべではありません。神さまのしもべなのです。マルコは、主ご自身のみことばを使ってそれを表現します。

 

(マルコ10:45)「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、ま
た、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

 

 マルコの福音書では、イエスさまはエホバのしもべとして示されています。これはイザヤ書42:1-2の成就です。

 

(イザヤ42:1-2)「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。」

 

 マルコのスタイルは簡略で率直、要領を得て含蓄があり、短く魅力的です。マルコはことば少なく、直接要点に行きます。マルコは行動と達成の福音書です。ここではイエスさまはことばとナレーションで讃えられることはなく、よけいなものははがされて行動する準備ができています。マルコの福音書は、簡素なスタイルで書かれています。一般市民のためのメッセージとしてデザインされています。福音書の中で、“そして”という接続詞がほかのどのことばよりもたくさん使われているのは面白いことです。1331回使われていると言われています。私は自分で数えてはいませんが、もし、お疑いなら、ご自分で数えてみてくださいね。これは行動のことばで、すぐあとに何かが続くことを意味します。“そして”はいつでも将来の行動に結びついています。

 

 マルコは系図を入れていません。なぜなら、しもべに必要なのは系図ではなく、推薦状だからです。しもべは、仕事をする必要があります。これからそのことをこの福音書の中に見て行きますなぜなら、そのようにイエスさまが示されているからです。

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「マルコの福音書」をお読みください。

 

是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください! 

 

 

神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。

 

    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

※ 約12分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。

救いの福音のメッセージ文書版です。是非お読みください。

 

 

 

是非これを読まれた方が主イエス・キリストを信じ救われることを心より願っております。罪のゆるしについて、死後のさばき(永遠の地獄)からの救いについて、真剣に考えたい方、話を聞きたい方は是非プロフィールクリック→メッセージください。あなたがどうすれば救われるのか一緒に考えさせてください。

 

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イグアスの滝(自分で撮った写真です。)悪魔の喉笛です。

~一番ポピュラーな、悪魔の喉笛の由来は、その下の岩に打ち付ける滝の音が、悪魔が唸り声を上げている様に聞こえるから...~