ひとみは、ベッドの上に体を起こしたまま、スマホをぼんやりと眺めていた。喘息の発作が少し落ち着いた夜だった。
何をするでもなく、ただ時間を潰すようにタイムラインをスクロールしていた。
英治のことを考えないようにしようと努めても、結局は彼の笑顔が浮かんで、胸が締めつけられる。そんなときに海洋生物保護施設のイベント写真が目に入った。
獣医がイルカに検温をしているという写真、イルカの腹をなでながら、屈んで笑っているその男性の横顔にひとみの指が止まった。心臓が、激しく鳴り始めた。――英治。同じ、まるで同じだった。
目尻の少し上がった優しい目。笑うとできる頰のくぼみ。髪の分け方さえ、ほとんど変わらない。
「嘘……」
声が漏れた。
その写真を投稿したのは「サキ」という名の女性。プロフィール見てみると「千葉在住の海洋生物専門のイラストレーター」と書かれている。他の投稿にはイルカやクジラの絵が目立っていた。ひとみは震える指でさらに過去の投稿を探る。すると、サキが男性と並んで写っている写真を見つけた。
『夫のレイジと、施設のイルカたちと♪今日もみんな元気いっぱい!』
夫のレイジ。ひとみは息を飲んだ。
サキの横で笑っている男性は、確かにあの男性だった。サキの肩に軽く手を回し、穏やかな笑顔を浮かべている。
その表情は英治と酷似していた。
「どうして……」
ひとみはスマホを胸に押し当て、目を閉じた。
彼は死んだはずなのに、この人は生きていて、イルカの保護施設で働き、ひとみとは別の女性の夫として、幸せそうに笑っている。喘息の気配が、再び喉の奥でざわめいた。息が浅くなる。でも、ひとみはスマホを離さなかった。
さらにサキのブログにアクセスし、レイジが写っている写真を次々と見つけた。
レイジがオキゴンドウというクジラの一種の頭を撫でる姿、施設の掃除をしている姿、夕陽を背に散歩している姿。どれも、英治が生きていたら見せただろう日常そのものだった。
涙が、ぽろりと落ちた。でも、同時に、胸の奥で別の感情が渦巻いていた。
喜びではなく、怒りでもなく、ただの深い動揺と、わけのわからない喪失感。
外では、夜の風が桜の残り花びらを静かに運んでいる。
ひとみの部屋は、ただ静かで、冷たかった。彼女は、その夜、ほとんど眠れなかった。
頭の中を、レイジと名乗る男の笑顔が何度も巡った。