英治は、ついに帰ってきた。玄関の鍵が回る音がした瞬間、ひとみはソファから飛び起きた。
ドアが開き、英治が立っていた。
スーツケースを置くなり、彼はひとみを見るなり激しく抱き締めた。
両腕に力を込め、彼女の体を強く引き寄せ、背中に回した手が震えていた。
「ひとみ……ごめん。心配かけたな」
声は低く、抑えきれない感情が滲んでいた。彼は顔をひとみの髪に埋め、深く息を吸い込んだ。そのまましばらく離れず、ただ強く抱きしめ続けた。その力強さ、温もり、震える腕の感触は、心の底から彼女を愛していることの証のように感じられた。ひとみは涙を溢れさせながら、彼の胸に顔を押しつけた。
「英治さん……帰ってきたんだ……」
純子はその様子を少し離れた場所から見守っていた。英治が帰宅したという連絡を受け、駆けつけた彼女は、ふたりの再会を静かに眺めていた。激しく抱き締める彼の姿を見て、純子は胸の奥が温かくなるのを感じた。
あの裏垢はデタラメだった。あれは心ない者のいたずらで、英治の本音などではなかった。
今、目の前でひとみを抱きしめているこの姿こそが、ありのままの真実だ。
純子は心から安心し、静かに微笑んだ。英治はようやくひとみを離し、彼女の顔を両手で包んで額にキスをした。
「愛してるよ、ひとみ。もう離れないから」
その言葉と仕草に、純子は改めて確信した。
これが本当の姿なのだと。すべては誤解だった。そして今、ふたりの幸せは、再び確かに戻ってきた。




英治は帰国してから数日後、西野優馬と二人だけで行きつけの居酒屋にいた。店内の奥の席で、グラスを傾けながら、英治はいつもの落ち着いた様子だった。
優馬が箸でつまみを摘みながら、静かに切り出した。
「あのままカナダに永住するかと思った」
英治は小さく笑って、ハイボールを一口飲んだ。態度はこれまでと全く変わらなかったが、淡々と、しかしはっきりとした声で答える。「しばらくは日本であいつと過ごすわ」
優馬は英治の顔をじっと見た。カナダ出張から戻ったばかりの英治は、表情も口調もいつも通りだった。優馬は胸の奥でほっと息を吐いた。彼の態度は変わらない。これがいつもの英治だ。
表では完璧な夫を演じ、裏では本音を吐き出す——そのバランスを、英治はこれからも崩さないだろう。優馬はグラスを軽く掲げて言った。
「まあ、好きにしろよ」
英治は小さく頷き、再びハイボールを飲んだ。
二人はそれ以上、深い話はしなかった。ただ、いつものように酒を酌み交わし、時間を過ごした。この夜の会話は、ひとみが知ることはなかった。
英治は家に帰ると、いつもの優しい笑顔でひとみを迎え、彼女を強く抱きしめた。
純子もその姿を見て安心し、すべてが誤解だったと信じていた。
しかし、彼の本当の心は、優馬だけが知るまま、静かに隠されたままだった。