ひとみは、英治が生まれ育ったという神奈川県の児童養護施設を訪ねていた。

そこは住宅街と畑に囲まれたのどかな場所で、施設の門をくぐると、子供たちが遊ぶ声が聞こえてきた。出迎えてくれたのは施設長の佐伯だった。
穏やかな目をした、背の小さな女性。
「菊地英治くんの……?」
ひとみが名乗ると、佐伯は一瞬目を丸くして、それから深く頭を下げた。
「よく来てくれました……本当に、いい子だったんですよ」
応接室に通され、温かい紅茶を差し出される。壁には子どもたちの絵が飾られている、その中に鷹の写真があった。
「その鷹は英治くんが撮影したんですよ。中学の頃から、カメラを片手に生き物や自然の光景を撮影してました。」
佐伯は、遠い目をして語り始めた。英治は三歳のときにここへやってきた。両親は交通事故で亡くなり、身寄りがなかったという。
物心つく頃から自然や生き物のことが好きだった彼は虫や鳥の名前を全部覚えては他の子達に教えていたそうだ。
高校を卒業してからも、英治は頻繁に顔を出した。土日にふらっと現れては子どもたちを連れて裏山へ行き、野鳥や植物を教えたり、秘密基地を作ったりしていた。
「『俺はここで育ててもらったから、今度は俺が返す番だ』って、いつも言ってました」
ひとみは、知らない英治の姿を、一つ一つ丁寧に胸に刻んだ。佐伯は、そっと引き出しからアルバムを出した。そこには英治が子どもたちに囲まれて笑っている写真が何枚もあった。
その笑顔は、ひとみが知っている英治そのものだった。
「英治くんが亡くなったって聞いて……私、しばらく子どもたちに言えなかったんです。みんな、英治お兄ちゃんが大好きだったから」
佐伯の目が潤んだ。ひとみは、震える声で聞いた。
「……英治さんは、ここが好きだったんですね」
「ええ。『俺の帰る場所はここだけだ』って、よく言ってました」
帰る場所。ひとみは、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。英治は、確かに帰る場所を持っていた。血の繋がった家族がいなくてもここが彼の根っこだった。そして、自分はその根っこを、最後まで知ろうとしなかった。
「ありがとうございました……英治さんが、こんなに愛されていたことを、今日、ちゃんと知ることができました」
ひとみは深く頭を下げ、施設を後にした。
門を出ると、子どもたちの笑い声が遠くから聞こえてきた。空は高く、風は優しかった。ひとみは一度だけ振り返った。もう、涙は出なかった。代わりに胸の奥に小さなでも確かな温もりが残った。英治が愛した子どもたち、英治が守りたかった自然、英治が帰りたかった場所。それらは今も、ここに確かに生きている。そして、ひとみの中にも。