雨が降っていた。仲山ひとみは、CAFE BOKURAの窓から外の光景を眺めていた。婚約破棄から一ヶ月、心の傷はまだ癒えていない。元婚約者の「君とは合わない」という言葉が、頭の中でリフレインする。ひとみはため息をつき、カフェモカを一口飲んだ。その時、店のドアが開き、懐かしい声が耳に飛び込んできた。「仲山ひとみ!久しぶりだな」

顔を上げると、そこに菊池英治が立っていた。中学時代、ひとみの初恋の人。柴犬を連想する髪と表情は昔のままだった。ひとみは一瞬、言葉を失った。

「き、菊池くん?」

二人はテーブルを挟んで座り、近況を語り合った。英治は獣医師として働いているという。ひとみは、東京での会社員生活や、最近の失恋についてはぼかして話した。会話は自然で、まるで中学時代に戻ったかのようだった。雨音が、二人だけの時間を優しく包み込む。

「覚えてるか? お前、いつも校庭の片隅でサックス吹いてたよな」と英治が笑う。
ひとみは頬を赤らめた。あの頃、英治に片思いしながら、勇気を出して話しかけることすらできなかった。別々の高校に進み、連絡も途絶えた。それなのに、今、こうして再会できたことに、ひとみは運命を感じずにはいられなかった。
「ねえ、菊池くんがあたしのことを覚えててくれるなんて、ちょっと嬉しいな」
英治は照れくさそうに頭をかいた。
「そりゃ、ひとみは印象的だったからさ。変わらないな、なんか、雰囲気とか」
その言葉に、ひとみの心は高鳴った。婚約破棄で失った自信が、ほんの少し戻ってくる気がした。このチャンスを逃したくない。ひとみは、震える声で言った。
「き、菊池くん、実は…中学の時からずっと好きだった。言えなかったけど。今、こうやって会えたの、運命だと思う。もし、よかったら…あたしと付き合ってほしい………」
空気が止まった。英治の笑顔が、微妙に曇る。ひとみは、胸が締め付けられるような予感を覚えた。
「ありがとう。めっちゃ嬉しいよ、そう言ってくれて。でも、俺…結婚してるんだよね。」
ひとみは凍りついた。英治は、左手の薬指に光るリングを見せ、優しく続けた。
「相手は八重って言う、沖縄出身の人なんだ。もう3年になるかな。ひとみの気持ち、ほんとありがたいけど…ごめんな」
雨が強くなった。ひとみは、笑顔を無理やり作った。
「そ、そっか。おめでとう…! ううん、急に変なこと言って、ごめんね」
英治は心配そうにひとみを見たが、彼女は「大丈夫、平気!」と明るく振る舞った。会話はそこで途切れ、英治は「また、友達として会えたらいいな」と言い残して店を出た。
ひとみは一人、空になったカップを見つめた。運命だと思ったのは、自分だけだった。涙がこぼれそうになるのを堪え、彼女は呟いた。
「また、やり直せるかな…あたし………」
雨は止まず、ひとみの心に静かに降り続けた。