ひとみは朝から動いていた。英治の行方がわからない。結婚式の前日に消えた彼を捜すため、動物病院、近所の商店街、駅前の交番――思いつく場所をすべて回った。だが、誰も英治を見ていない。スマホはつながらず、LINEは既読にならない。
病院の受付は困惑した顔で、「昨日から先生、連絡がないんです」と繰り返すだけ。八百屋のおばさんは、「夕方、いつも通り挨拶してたよ」と首を振った。コンビニの店員も、喫茶店のマスターも、同じ答え。英治はまるで煙のように消えていた。
ひとみはアパートに行き、英治の部屋のインターホンを鳴らした。何度押しても無音。鍵のかかったドアの向こうに、彼の気配はなかった。胸に嫌な予感が広がる。事故? 事件? それとも――ひとみの頭は最悪の想像で埋め尽くされた。

翌日、ひとみはふらふらと小学校へ向かった。結婚式は中止になり、招待客への連絡で夜を徹していた。顔は青ざめ、目は腫れている。それでも、子どもたちの前では笑顔を作ろうとした。
教室に入ると、子どもたちがざわついた。ひとみの様子がおかしいとすぐに気づいたのだ。休み時間、クラスのリーダー格の男の子、翔太が近づいてきた。
「中山先生、大丈夫? なんか、元気ないよ。」
ひとみは無理に笑って、「大丈夫よ、ちょっと疲れただけ」と答えた。だが、翔太は真剣な目で続けた。

放課後、ひとみは職員室で一人、机に突っ伏していた。手には、英治からもらった犬のキーホルダー。ひとみが犬好きだと知っていた彼が、照れながら渡してくれたものだ。柴犬のマスコットは、英治の穏やかな笑顔を思い出させた。
「英治さん、どこに行っちゃったの……」
ひとみは呟いた。事件に巻き込まれて誰かに連れ去られたのか。それとも、英治自身が逃げたのか。どの可能性も、ひとみの心を締めつけた。
彼女はそこで気づいた。英治のことを、ほとんど知らない。出身地、育ってきた環境、家族のこと――何も。英治はいつも微笑んで話を聞いてくれるだけで、自分のことは語らなかった。ひとみはそれが彼の優しさだと思っていた。でも今、空白の過去が不気味な影を落とす。

ひとみは疲れ果てて自宅に帰った。英治の行方がわからないまま、身も心も疲労困憊だった。ソファに沈み込み、気休めにテレビをつけた。ぼんやりと流れるニュースの音が部屋に響く。
「2年前に行方不明になっていた男性が、奇跡的に家族のもとへ帰還――」
何気なく画面を見たひとみは、凍りついた。そこには、英治の顔があった。ニュースキャスターが続ける。
「菊地英治さん、2年前に山での調査中に土砂崩れに巻き込まれ行方不明となっていましたが、先日、自宅に戻ったことが確認されました。家族との再会に、喜びの声が上がっています。」
画面には、英治が映っていた。穏やかな笑顔は、ひとみが知るあの笑顔そのもの。だが、彼の隣には見知らぬ女性がいた。きれいな顔立ち、優しげな微笑み。彼女は英治の手を握り、カメラに向かって静かに頭を下げた。
ひとみは息が止まりそうだった。英治は既婚者? 彼女の頭は混乱で埋め尽くされた。それじゃあ ひとみと過ごした時間は、何だったの。
ひとみはテレビを凝視した。ニュースは英治の過去を伝えていた。大学で生物学を研究していたこと、2年前の土砂崩れ事故で記憶を失ったこと、そして奇跡的に記憶を取り戻し、妻のもとに帰ったこと。画面の中の英治は、ひとみと過ごした時間をまるで知らないかのように、冴子と寄り添っていた。
ひとみの胸は痛みで張り裂けそうだった。