ひとみの叫びが夜の公園に響き、静寂に吸い込まれた。

「傷つけられても、あたしは菊地くんのことを嫌いになんてなれないの。」

涙が地面に落ち、彼女は膝を抱えてしゃがみ込んだ。菊地英治の笑顔、彼の冷たい言葉、その全てが頭の中でぐるぐると渦を巻く。ブランコが風に揺れ、キィキィと寂しげな音を立てていた。

ひとみは顔を上げ、星空を見た。涙で滲む視界の中で、星が静かに瞬いている。
「もう、いいよね…あたし、前に進まなきゃ…」
そう呟きながら、彼女は立ち上がった。冷たい夜風が頬を撫で、心の奥に小さな決意が芽生える。菊地英治を想う自分を、このまま引きずっていてはいけない。自分自身を取り戻すために、何かを変えなければ。
翌朝、ひとみは自分の部屋で机に向かい、ノートに思いを書き殴っていた。
「菊地くんのこと、好きだった。でも、彼のことを、いつまでも追いかけるのはもうやめる。」
ペンを置くと、彼女は深呼吸した。心はまだ揺れていたが、どこかで解放されたような感覚があった。
通学中に、英治の姿を見るたびに胸が締め付けられた。彼は相変わらず恋人の隣で笑い、誰とでも気さくに話していた。ひとみはそんな彼を遠くから見つめ、そっと目を閉じた。
「もう、いいよね。」心の中でそう呟き、彼に背を向けた。

ひとみは、夏休みを利用して短期のボランティアプログラムに参加することを決めた。行き先は、山間の小さな町で行われる地域復興プロジェクト。知らない土地で、知らない人たちと過ごす時間は、きっと自分を変えるきっかけになるはずだと信じた。
夏休みが始まり、ひとみはリュックを背負って新幹線に乗り込んだ。窓の外を流れる景色を見つめながら、彼女は英治のことを思い出す。彼への想いはまだ胸の奥に残っていたが、それはもう痛みではなく、遠い記憶のようなものになりつつあった。
目的地の町は、緑に囲まれた静かな場所だった。ボランティアの仲間たちは、大学生や地元の大人たち、ひとみと同じように何か新しい一歩を踏み出そうとしている高校生たちだった。リーダーの女性、彩花は、明るくて面倒見のいい人で、ひとみを温かく迎えてくれた。
「ひとみちゃん、初めてのボランティアだよね?緊張するかもしれないけど、楽しんでいこう!」
彩花の笑顔に、ひとみは少しだけ心が軽くなった。
「はい、よろしくお願いします。」
プロジェクトでは、古い公民館の修繕や、地元の子供たちとの交流イベントを手伝った。ひとみは最初、慣れない作業に戸惑いながらも、仲間たちと汗を流す中で少しずつ笑顔を取り戻していった。夜には皆で焚き火を囲み、互いの話を語り合った。
ある夜、ひとみは彩花に自分のことを話した。英治のこと、彼に傷つけられたこと、そして自分を変えたくてここに来たこと。彩花は静かに耳を傾け、焚き火の揺れる光の中で微笑んだ。
「ひとみちゃん、すごく強いよ。好きな人を諦めるのって、簡単じゃない。でも、こうやって新しい場所に来て、自分と向き合ってる。それって、めっちゃかっこいいと思う。」
その言葉に、ひとみの目から涙がこぼれた。「あたし…まだ、時々彼のこと思い出して、胸が痛くなるんです…」
「それでいいんだよ。忘れなくたっていい。だって、その気持ちもひとみちゃんの一部だから。でも、これからもっと、ひとみちゃん自身の物語を作っていけるよ。」
彩花の言葉は、ひとみの心に深く響いた。英治への想いは、彼女の一部として残るかもしれない。でも、それに縛られる必要はない。自分自身の物語を、これから自分で紡いでいけばいい。
ボランティアの2週間は、あっという間に過ぎた。最終日、ひとみは地元の子供たちと一緒に作った花壇の前で写真を撮った。笑顔でピースサインをする彼女の姿は、公園で泣いていたあの夜とは別人のようだった。

帰りの新幹線で、ひとみはノートを開き、旅の思い出を書き記した。
「あたしは、菊地くんを好きだった。でも、これからは、あたし自身を好きになれるように生きていきたい。」
ペンを置くと、彼女は窓の外の景色を見た。夏の緑が輝き、未来が少しだけ明るく見えた。



新学期が始まり、ひとみはもう英治を遠くから見つめることはしなかった。代わりに、別の男子と笑い合ったり、放課後に図書室で本を読んだり、自分の時間を大切にするようになった。
ある日、ひとみは偶然、佐竹哲郎と地元の図書館で一緒になった。彼はひとみに気づくと少し照れくさそうに微笑んだ。
「ひとみ、なんか…夏休み、変わったな。」
「え、そう?」
「うん、なんか…いい意味で。自信ある感じっていうか。」
哲郎の言葉に、ひとみは小さく笑った。「ありがと、てっちゃん。ちょっと、変わってみようかなって思ってるんだ。」
二人の会話は、静かな空間に穏やかに響いた。ひとみはまだ恋愛を考える余裕はなかったが、哲郎の優しい眼差しに、いつか新しい気持ちが芽生えるかもしれないと、ふと思った。
ひとみの旅は終わった。でも、彼女自身の物語は、ここから始まるのだ。


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ぼくらのロストワールドという作品にひとみが登場しないのは多分、こういう体験をしてたんだと思うなぁ