菊地英治は太陽のような存在だ。いつも笑顔で、誰に対しても分け隔てなく接する。けれど、彼の明るさの奥には、誰にも打ち明けたことのない、音楽への複雑な思いがあった。
その理由は、彼の母親が著名なバイオリニストだったからだ。幼い頃から英治は、母親の厳しい指導のもと、バイオリンの英才教育を受けてきた。毎日何時間も練習に励み、数々のコンクールで優秀な成績を収めてきた。
周りの大人たちは、「将来は素晴らしい音楽家になるだろう」と彼に期待を寄せた。けれど、英治の心は次第に音楽から離れていった。母親の完璧主義な指導は、幼い彼にとって重圧となり、音楽そのものを楽しむ喜びを奪っていった。
バイオリンの練習は、いつしか彼にとって苦痛以外の何物でもなくなった。完璧な演奏を求められるプレッシャー、少しでも間違えると厳しく叱責される日々。音楽は、彼にとって喜びではなく、義務であり、母親の期待に応えるための手段となっていった。
小学5年の時、英治は母親に「もうバイオリンを弾きたくない」と告げた。母親は激しく反対したが、英治の固い決意は揺るがなかった。結局、彼はバイオリンを辞め、その後、仲間とボールを追いかけるサッカーの世界に没頭していった。
サッカーは、彼にとって音楽とは全く違うものだった。仲間と力を合わせ、ゴールを目指す一体感。体を動かす喜び、勝利の達成感。そこには、音楽のようなプレッシャーや義務感はなかった。
けれど、音楽が完全に彼の人生から消え去ったわけではなかった。時折、街中で流れるバイオリンの音色や、テレビから聞こえてくるクラシック音楽に、彼は複雑な感情を抱いた。それは、かつて自分が身を置いていた世界でありながら、もう二度と戻れない場所のような気がした。
そんな英治が、なぜひとみの吹くサックスの音色に惹かれるのだろうか?
もしかしたら、ひとみの吹くサックスの音色には、彼が幼い頃に感じることができなかった、純粋な音楽の喜びが溢れているのかもしれない。完璧さを求められるのではなく、自由に、感情豊かに音を奏でる彼女の姿は、かつての自分にはなかったものだった。
あるいは、サックスという楽器の持つ、どこか泥臭く、人間味のある音色が、母親の奏でる完璧で繊細なバイオリンの音色とは全く違う魅力を持っているからかもしれない。
英治にとって、ひとみのサックスの音色は、忘れかけていた音楽の持つ力、そして、自分が失ってしまったかもしれない、音楽を楽しむという純粋な感情を思い出させるものなのかもしれない。