「行ってないし行く気もない奴らの万博の悪口いらんわ~。誰が得すんの。」
安永宏のぼやきが、玉すだれの喧騒に溶けていく。カウンターの前、ひとみが宏のお猪口に日本酒を注ぐ。彼女の声は、さっきのぼやきに対する軽い反発を孕みながらも、どこか楽しげだった。
「あたしは行ってみたいな」
とひとみが言うと、宏は鼻で小さく笑った。
「万博? あんな金食い虫のイベント、行く価値あんのかよ。ニュースじゃ毎日、予算オーバーだの、建設遅れだの、ボランティア足りねえだのって騒いでるぜ。行ってもがっかりするだけだろ」
ひとみは徳利を置いて、ちょっと首を振った。彼女の黒い髪が、カウンターの仄かな照明に揺れる。
「宏ってさ、いつもそうやって最初から否定するよね。行ってもないのに、なんでそんな決めつけちゃうの? なんか面白いもの、絶対あるって。新しい技術とか、海外の食べ物とか、さ。万博って、そういうの感じる場所じゃん?」
宏は一瞬、言葉に詰まった。ひとみの目の奥には純粋な好奇心が垣間見えた。彼はお猪口の酒を一口飲んで、誤魔化すように肩をすくめた。
「面白いもんがあったとしても、だ。チケット代高いし、それに俺、人混み嫌いだし、交通費だってバカにならねえ。東京からわざわざ大阪まで行く価値、俺には見えねえよ」
ひとみはくすっと笑って、カウンターに肘をついた。
「ふーん。じゃあさ、もしあたしの旦那がチケット奢ってあげたら、行く?」
「は? 奢りだって!?」 
宏の眉がピクッと動く。
「そう。奢り。あたし、万博行きたいからさ。何人かで行ったほうが楽しいじゃん。宏も、ついでに見聞広めなよ。ほら、いつも『最近、刺激が足りねえ』とか言ってるじゃん」
宏はひとみの顔をじっと見た。彼女の提案は冗談半分かもしれないが、その目は本気だった。ひとみはこういうとき、妙に人を巻き込む力がある。昔っからそうだった。中学時代、宏が文化祭の準備をサボろうとしたときも、ひとみに半ば強引に引っ張られて、結局クラス展示の看板作りで徹夜したことを思い出す。あのときも、ひとみの「面白くなるよ、絶対!」って言葉に負けたんだっけ。
「…ったく、相変わらずお前は俺に対しては押しが強いな」 
宏は苦笑いしながら、焼酎のグラスを酒を飲み干した。
「いいよ、奢りなら付き合ってやらねえこともねえ。せっかくの大阪だから粉もんグルメでも堪能したいし。」
「よっし、決まりだね。」 
ひとみはパッと笑顔になって、手を叩いた。「じゃあ、予定決めよ。万博の公式サイト見て、どのパビリオンが面白そうかチェックしなきゃ。」
「リクエスト? 別に…。強いて言えば、飯がうまけりゃいいかな。海外の屋台とか、食い物系のパビリオンは悪くねえかも」
「ほー、宏にしては具体的な希望じゃん。じゃあ、あたしはテクノロジー系のパビリオン見てみたい。なんか、AIとかVRの最新技術とか、めっちゃ未来感じるやつ。ほら、宏もゲーム好きだし、そういうの嫌いじゃないでしょ?」
宏は「まぁな」と小さく頷いた。ひとみのテンションに、なんだかんだ引っ張られている自分に気づく。万博なんて、さっきまではただの「金の無駄遣いイベント」としか思ってなかったのに、ひとみの話を聞いてると、ちょっとだけ興味が湧いてくる。いや、興味ってより、ひとみと一緒なら案外面白くなるかもしれない、って予感みたいなものだ。
テレビでは、ちょうど万博のニュースが流れていた。画面には、建設中のパビリオンの映像と、派手なCGで描かれた未来都市のようなビジュアル。アナウンサーが「開催まであと半年を切り、期待が高まっています!」と明るく喋っている。宏はチラッと画面を見て、ため息をついた。
「ほんと、世間は浮かれてんな。まぁ、お前がそこまで言うなら、一回くらい行ってみてもいいか…」
ひとみはニヤリと笑って、スマホを取り出した。
「せっかくだからホテルもいいとこ泊まりたいよね。」
その夜、宏はひとみの勢いに押されながら、万博の計画を立てる羽目になった。肴の苦味と、ひとみの笑い声が、居酒屋の喧騒に混ざり合う。万博がどんな場所になるのか、宏にはまだ想像もつかない。でも、ひとみの「絶対面白いよ!」って言葉が、どこか心の隅で小さく響いていた。