大橋純子さんが天国に召されたという訃報、本当に残念です。
70年代に他とは違う歌謡曲じゃない世界を教えてくれました。ファンキーでソウルフルでシティポップ。
私、担当のテレビ、ラジオにもおいでいただきましたが、
毎年毎年、年間を通して、私担当の番組でもっとも多くオンエアし
最初の闘病生活から復帰後にお話をうかがった時には、
「先のことは悩まないし、迷わないし、考えないことにして、ケセ
実は放送されていない会話で゛とても印象深い呟きがありました。
歌手生活の中で、「美乃屋セントラル・ステイション」との時がい
その呟きは…突然に・・・ふっと…遠くを見つめながら…。
ヒット曲「たそがれマイ・ラヴ」が、ある意味、歌手としての分岐
ヒット曲により、逆に歌手、大橋純子とは何なのか、何のために歌
「たそがれマイ・ラブ」は、レコーディング前から抵抗されていて
何で歌謡曲を私が歌うの!?と思われたそうです。
80年代の歌手生活休養後の88年以降も、この歌と「シルエット
その迷いを本当に乗り越えられた瞬間は、ポール・マッカートニー
ビートルズのナンバー「イエスタデイ」の歌唱に身震いがして、ヒ
素晴らしい曲を旦那さまの佐藤健さんと残してくださって、ありが
写真は、結果的に最後にお目にかかった時のツーショット。
慎んで哀悼の意を表します。