人種や国籍、宗教などもそうですが、
人の見かけによるヘイトクライムというものもあります。
テレビやラジオ、SNSというものは、こういうことに対して、問題を投げかけ、
考えて、一致団結して差別をなくし、平和を目指す動きにしていく手段として大変有効ですが、
矛盾点も大変多いような気がします。
つまり、差別をなくそう!ヘイトを止めよう!
と言いながら、
差別、ヘイトの芽を生んでいる部分があるのではないか…と私個人は、いつも考えています。
身近な話からすれば…例えば・・・
何回も何回も申し上げていますが、なぜ( )の年齢表示が必要なのか…ということ。
そして、ドラマなどを見ていても、昔の年月を経た設定でも・・・俳優がそう見えなくなっています。
俳優個人の見せ方が若く、カッコよく、綺麗に見えたほうが良いというのが今の主流の考え方かもしれません。
つまり、外見的なものをもの凄く重要視している…ということです。
外見的、本来の年齢を求められることも場合によっては必要で否定しませんが、
あまり度がすぎると、そういうことを重要視する考え方が潜在的に広がり、
その流れについていけない人の、その存在、人間性そのものを否定するような流れになることにつながりかねません。
これは、国籍、人種の見えかたにもつながると思います。
ひとりの人間・・・でいいはずが…そこから見ない考え方。
そして、テレビやラジオ、ネットにSNSでの言葉の使い方は、ネタも含めて大変重要です。
なぜなら、表現の自由という名のもとに今はパンドラの箱が開けっぱなしになり拡散するからです。
ネットやSNSの上にテレビ、ラジオはなければ存在の意味がない時代だと私は思いますが、
テレビ、ラジオがネットやSNSに寄ってしまっているために、
人々の心の闇が想定出来ないレベルにまでふくれあがっていると私は考えています。
テレビやラジオのさらに上にあるのが、間は飛ばしますが、国を代表する人々、ささえる人々です。
今、この人々までもが、ネットやSNSに寄った発言を品格のない言動でなさっているという由々しき事態になっているような気がします。
例えばいち議員の小さなことから、大統領レベルの大きなことまで。
ポピュリズムの力による影響という流れは、いつの時代にもありましたが、
最近のポピュリズムには、無責任な流れもあります。
どちら側にも問題があるのですが・・・言わなきゃ損、やらなきゃ損的な流れが酷すぎて・・・
私は、炎上と言われながらも報道され、それを続けるやり方はかなり問題があると思います。
表現の自由ですが…。
世界はひとつ、人類みな兄弟
素晴らしい考え方だなと子供の頃から思っていますが、
この考え方からは、ほど遠いのに、商売はグローバルを謳っているから生まれる矛盾。
年齢、容姿の差別の問題から話が飛躍してごちゃごちゃしていますが、(笑)
根本的なものは同じで、流れに添うと個人の差別レベルの話から国を揺るがす事態まで…つながる・・・ということです。
表現の自由、発言の自由
これ自体が、もはや戦中戦後のそれとは違い過ぎて・・・
むしろ、戦中戦後の意思とは真逆な方向に走っているように思います。
技術は進化し、人間の精神は後退してしまっている・・・ということにはならないようにしたいものです。
根本的なものをじっくりと考え、品格をもって話し合わないといけませんね。
週明けの楽しくないボヤキでした。(笑)