今、LINEのやり取りをが赤裸々に公開されていますが、
これって、ご本人たちが流したわけではないとすると・・・どうして流れたんでしょうね。
また、見たこと、流したことは、法律的にセーフ?
法制度って、こういうことにどこまで現在対応しているのでしょう。
私は、TwitterもLINEもやらないのですが、
それは、個人的な文字のやり取りを空中を通して記録するのにセキュリティ上の問題があると思い続けているのと、
人間関係、友人や恋人関係も一寸先は闇だと思っているからです。
気軽になったやり取りは、蟻地獄のような恐ろしい面もあるのでは?
こうして会話を盗まれるのもそうですが、
恋人にしても、友人にしても、良好な状態がずっと続くのは・・・
なかなか難しいことだと個人的な狭い世界の経験では感じております。
だから怖い・・・関係が崩れた後の会話記録の扱いが…。
しかも顔が見えない会話は勝手な責任のない言葉の羅列。
「スター・ウォーズ」のレイア姫役のキャリー・フィッシャーが苦しんでいるように、
酷い言葉が溢れています。
そんなことも含めて、毎日、気軽に何も考えない、そのつぶやきを
取調室のような場所に記録しているようなものだという・・・少々乱暴な考え方もできます。
ただの会話やつぶやき・・・でもそこには、
くだらない内容や人権侵害な内容、嘘さえも記録される恐ろしさ。
おまけに、仲間同士だと何時に読んだとか、読んだ読まないとか・・・踏み絵みたいなことまで要求される…。
こんなこと・・・人間関係に必要なんでしょうか?
個人的には、マゾ体質でなければ出来ないように感じてしまいますが・・・そうではなく、
気持ち自由、安全、という思い込みで感覚がマヒしているのかもしれません。
これは、私が私だけの価値観で作りあげた特殊な寂しい世界感かもしれません。(笑)
キチンと上手に利用されている方々には、失礼な発言で申し訳ございません。
実際に私は寂しい動物ですから、お許しを。(笑)
ですから、私は携帯電話のメールの利用も最低限、インターネットの最低限にするよう努力しています。
今やインターネットでしか手続き出来ないものもたくさんありますが、最初の利用のキッカケは仕方なくでしたね。
仕方なく・・・。
技術の進歩と強制を受け入れなければ、暮らしにくいシステムになってきているので・・・仕方なく。
アナログ・レコードからCDへ移行する時のような感じですかね…。
いろいろ考えると人間の心が技術にのみ込まれていったのが戦後の半分でしょう。
今では、私が利用したことのない端末機がどんどん進化していますが、
そういうものが当たり前になって、慣れすぎて、人間の感覚がもっとマヒしていったとしたら・・・と考えてしまいます。
技術の進歩は素晴らしくとも、人間の心がついていっているのかどうか…。
多くを語り合う前に、個人的LINE情報が、誰でも見られる状態にされていること、
むしろこちらのほうの扱いが気になっています