私は、若い時分悩んでいました。
自分の恋愛対象が男性だということに気がついた時には、恐ろしい気持ちになったものです。
もちろん、それだけではありません。
考え方、感じ方もです。
「女っぽいなお前」「オカマかお前」と言われて、幼少期から萎縮した青春でした。
そんなある時、ラジオから「オカマよ!」というトークが。
おすぎさんとピーコさんでした。
私は、このお二人の堂々とした「オカマ」の物言いにどれだけ勇気づけられたかわかりません。
しかし・・・自分のまわりで「私はオカマよ!」とは言えませんでした。
隠れながら、隠れながら生きて、ようやく言えるようになったのは最近です。
そう、テレビの中でです。
しかし、その時点では「オカマ」ではなく「おネエ」という言葉に変換されていました。
「オカマ」という差別用語に悩んで、
苦しまれた方々、自らの命を絶たなければならなかった方々、
この言葉自体が、特定の差別を受けるべく言葉だった・・・ということ…
いろいろ考えれば、「オカマ」という言葉は、公共の場所では使ってはいけない言葉なのだ…と考えて、
「おネエ」というザックリし過ぎの言葉を受け入れてきました。
それでも、私たちのような人間もいて、違いがたくさんあるということを知っていただきたいと思って、
自分なりにスタッフの方々ともぶつかりながら、テレビの「おネエ」の分類分けにも参加しました。
前にも、そのことに対し、それはバラエティーでするべきことではなかったのかもしれないと思い、
そのことをブログにも書きましたが、
なぜ、したのか・・・ということに関しては、
自分自身が、おすぎさんとピーコさんに助けていただいた・・・その時の気持ちが忘れられないからです。
自分の性に悩んでいる若者がいたら、悩まないでほしいからこそ、とった手段でした。
もちろん、その気持ちと自分自身を解放したかったことがあります。
私みたいな人間もいれば、他にもいろいろなタイプがいるということの真実。
しかし・・・何年経っても、芸能界でさえ、ひとりひとり違うことを理解されない・・・
それが結論ですし、これからもされないでしょう。
だからこそ、マイノリティとして、ますます頑張らなければいけない部分もあると思っています。
世間に認められた?
一度たりともそんな気持ちになったこともございません。
一生抱えていく課題です。
しかし、私たちが出させていただくことで、良いことの反面、
ちょっとおかしなことかもしれない課題もたくさん出てまいりました。
悩んでほしくない!と思ってきましたが、
悩まない軽い世代が出てきたことです。
悩んではほしくない・・・でも、軽いことでもない・・・
しかし、軽すぎる気持ちの若者が出てきた・・・ということです。
性同一性障害とLGBT・・・そして個人の個性がグチャグチャになってしまっています。
私が「性同一性障害」と紹介されたこともあったほどです。
少し話は別部門になりますが、5月に番組に出させていただき、
いわゆるファッションで女装している方々の一部に危ない考え方をする方々がいる・・・という話をして、
女装愛好家の方々から大バッシングを受けてしまいました。
本当に正しい考え方の愛好家の方々には、申し訳ないと思いましたが、
あれは、必要な警鐘だったと思っています。
そして・・・本日のニュースの「ファッションホモ」を見て、ますますその時の気持ちが強くなりました。
やっぱり・・・という気持ちです。
私たちが、ザックリと分類分けされる一方、
悪いことを考える人たちも出やすくなってきてしまった・・・。
商売おネエとファッションホモ。
マイノリティの消えない気持ちがありながらも、一生懸命やってきた自分の何十年が、
一瞬にして泡となったような気持ちです。
ただでさえ理解されないのに、きっと、こういう方々ともザックリとひとくくりにされるかもしれない・・・
お化粧もしない、スカートもはかない私のような部類は、本当にマイノリティ化しているかもしれません。
一昨日もテレビ局で、子役の女の子に「おネエじゃなくて、ただのオジサンでしょ!やっぱりね」と突然言われたこともショックでした。
まあ、どんなことがあっても、
これからも私は私で変わらず元気に私らしい表現方法でやっていきますが、
ひじょうにここ数日考えさせられます。