あと、1ヶ月で1歳。
昨年、トークショーの会場でいただいた薔薇の花束のアレンジに使われていた葉っぱ。
こんなに立派に育ちました。
わぁーキレイ・・・と言って、貰われた時、人々は薔薇の花しか見ないでしょう。
添え物で切り取られた葉っぱになど目もくれない。
美しくチヤホヤされた薔薇は、1週間で捨てられました。
薔薇だけを見ていたならば、きっとこの葉っぱも一緒に捨てられていたでしょう。
でも、このただの添え物の葉っぱには、一緒に捨てようと思った時、根が出ていた…。
根が出ているものを捨てるか否か・・・。
もしかしたら、育つ命かもしれない・・・。
葉っぱのわかれ道。
このアレンジの葉っぱを捨てても世の中は、何も変わらないでしょう。
他に命なんかたくさんありますから。
日本の中で、地球の中で、宇宙の中で、カスにもならない心の葛藤・・・出来事。
しかし、もしかしたら、それは見過ごしてはいけないことがあるかもしれない。
あの美しかった薔薇は、もう捨てられたことさえも忘れられて、
その後、何回、新しい薔薇を買っては捨てたことでしょう。
その間、地味な命だったただの葉っぱは、こんなに立派に育ちました。
別に薔薇に罪はありません。
勝手に美しい部分だけを人間の一瞬の喜びのために切り取られているだけですから。
そして、花は枯れる運命。
多くの意見、強い流れが正しいとは限りません。
小さな可能性、小さなことに気づかなければ、根づいて育つ可能性もなくなります。
今、そんなことが世の中に溢れ過ぎているような気がいたします。
棄ててはいけない人間の心、精神、倫理観。
考えなければいけないことを考えない。
自分たちだけが、死ぬまで忙しく楽しく生きられれば良いのか・・・
それとも、次の世代に何かを紡いでから役目を終えるのか・・・
技術が発達していく世の中で、人間の倫理観が問われています。
生きる・・・とか生きさせてもらっている・・・
そういう言葉を毎日連呼するならば、もう一度、その本当の意味を考えたいところです。
何も知らないで他人任せ、多くの強い流れに身をまかせるだけの「生きる」ということは、大きな過ちにつながるかもしれません。
地球の寿命は、わかりませんが、もうそろそろゆっくりと人間界もしたほうが、良いような気がいたします。
日本でいえば、あの時・・・最新技術で悲惨なことになった…
原爆を忘れてはいけません。
技術の進歩に人間の心、精神が追いつかず、
命もこのままでは、いつか侵されるようになるのでは・・・そう…私には思えてなりません。
今、進んでいることは、今の子供たち、生まれている赤ちゃんたちが背負うこと。
もっと安全を確認して、育ててから安全なものを渡すのが私たちの使命ではないでしょうか。
安全が確認されていないものを渡す・・・いかがなものでしょうか。
安保、マイナンバー、18歳の選挙権・・・etc.
新しいことを始める前に決めなければいけないことが、たくさんあるはずです。
もしも・・・の対策なしで見切り発車は許されません。
リスクは、結局、私たちが背負うもの。
FIFAがたった25人で云々というなら、
逆に国民が国民として、参加しなくてはいけない重要な案件を
あの小さな小さな数百人しかいない議員の皆様だけに背負わせるのは、いかがなものでしょう。
知らなかった・・・では、済まされません。
大事なことは、せめて、国民投票にしたいところです。
たとえ、それが誤った道の選択になろうとも、
そちらのほうが筋道。
深夜といい、今朝といい・・・個人ブログとはいえ、長々と失礼いたしました。
疑問は、たくさんありますが、今日も働きます!(笑)
生まれたからには死ぬまで立ち止まれません。
今日も元気にいきましょう!