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kai遊録

日本国内の城郭を回遊してます


数年前、NHKで美甘子さんが千田先生のご指導のもと縄張図を描いているのを見て、


「縄張図描いてみたいなぁ星に願いを」とずっと思っていました。



実際、2年前くらいに“名胡桃城”で描こうとしたんだけど、


いざ現地に行ってみたら、何をどうやって描いたらいいのか分からず、放棄しましたsei



描こうとしてたくせに、実は縄張図を持って本格的に城を見るようになったのは、


H24.4月(去年の4月)からなのですがaya。0〇(あれ、我ながら時系列がおかしい・・・)






高原諏訪城の現説をされた佐伯先生とお話をさせていただき、一番印象的だったのは




「縄張図を見てるだけじゃわからないことがある、


縄張図を描いて初めてわかることがある」 ということ。






その佐伯先生が縄張図実習を開催してくださるとのことで問答無用で参加しました!!!!!!!


(そして、砺波あたりは日帰り圏内になりました(笑))



縄張図に興味を持って、わずか2年で縄張図実習ができる日がくるとは、


それも越中の縄張図本を出版されている先生に直々にご指導いただけるとは夢のようですうるうる



越中中世城郭図面集 1(中央部編(富山市・中新川郡/桂書房
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越中中世城郭図面集 2(東部編(下新川郡・黒部市・/桂書房
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午前中は「攻城ルートと防御思想」で比較していた“亀山へ行きましたウキウキ


(それはまた別の機会に~。高原諏訪城の現説参加レポはコチラ






初 縄張図実習の舞台は“安田城(やすだ城)”



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(縄張図描きに熱中しすぎてて写真撮るのをすっかり忘れてました・・・汗



すごくキレイに整備されてる!



きっと今までのスタイルで来ていたら「整備されすぎ(^^;)」と思ったうえ、


30分足らずで見学し終えていたでしょう。




では、さっそく実習開始~カチンコ


縄張図の描き方 (歩測方式 ・ 佐伯哲也先生 流)


1:中心(曲輪の重心)を決める


2:(自分で定めた)ポイントまでの歩数を計る


3:イメージ線を描く


4:2~3を繰り返す


です!そうだ!



・・・説明力がないは認めますが、口で説明できるものじゃないかと・・・(^^;





歩測しては描いて、歩測しては描いて、歩測し読書中あせる{イチ・ニ・サン・・・・ あれ??


本丸はほぼ真四角で、一番書きやすいハズなのに、


「 歩 数 が 合 わ な い ・ ・ ・ 」ayaayaず~~ん



皆さんが土塁を描きに進むなか、ひとり落ちこぼれる私・・・。


最初のイメージ線がズレていたために、すべてにズレが生じてしまったようです。





強引に土塁に進み、なんとか書き上げ二の丸に進んだものの、


二の丸はいびつな形をしてて何度計っても歩数が合わないわ、


カーブをどうやって描けばいいのか分からないわで、


本丸以上に右往左往・・・



歩測しては描いて、描いては歩測。 


歩数が合わなさ過ぎて消して消しゴム


歩測し直して、描いて、歩測、描く、歩測。


・・・・・・・・ 消し消し消しゴム 歩測、描く・・・・・エンドレス






ガッツはあれど、ガッツでどうにかなるものでなく、



時間は過ぎていくのに、図面は一向に進まない。結果が伴わない…


だんだん、何をすればいいのか分からなくなってきました。



中にはコツを掴で自分にあった方法を見つけ、右郭まで進んだ人もいるのに、


私は本丸すらまともに書けてなかったという結果大泣き




最初から書き上げられるとは思ってませんけど、ここまでかけないとは思く、


不器用さというか飲み込みの悪さに自己嫌悪しました・・・・・。





途中で投げ出したくなりましたが、そんなときには


「じゃあ、こうしてやってみて」とか


「よし、見てみようか!」と佐伯先生が励ましながらご指導してくださいました!



本当に、本当にありがとうございます!!!!



先生のご好意とアツいご指導に応えられるように、なんとか形にしたいです!





安田城が家のすぐ裏にあったらいいのにぽけ~


って、私の場合、縄張図を書く以前に歩測の練習から始めるべきでしょうが・・・。




あるフォロアーさんが「縄張図は麻薬」と仰っていましたが、その気持ちが分かりました。



描き始めたら、描きたくなるんです!(実際は描けてないけど)



実習の翌日や翌々日なんてコンパスとクリップボードで頭が埋まり、


描きやすそうな城を考えたり「とりあえず練習で駐車場を描くか?( 。-ω`-)」と思ったほどです。



で、実際にいくつかの地元の城や公園に行ったんですが、


完全に公園化されてて縄張図を描ける雰囲気ではありませんでした 凹む{マジで駐車場描くぞ?


やっぱ、箕浦城(近江)がいいなーayaあせる


※箕浦城は畑なので描けません。




幾人か安田城(城址公園)にいらっしゃってる方いたけど、


炎天下の中、8人がクリップボードを持って、


あっちいったりこっちいったりする光景は異様だっただろうなぁ~ニヤニヤ



これ、そこらの平城でひとりでやってたら不審者かと思われるかも(笑)







分かってはいましたが、それをはるかに超えるほど大変で時間の掛かる作業でした。


(ちなみに先生なら安田城は小1時間で書き上げるそうです)



こんな平城でブッシュもない安田城でさえ、半日かかっても書き上げられなく、


「ケバ線?なんだっけ、それはははははははあせる」な状況。



山城だったら、細かな曲輪やら麓まで延びてる竪堀があるし


ブッシュで歩数なんて合うわけないだろうし、本当に大変な作業だと思います。



縄張図を描かれ、書籍などで提供してくださっている方々を


尊敬するとともに、改めて感謝いたしました。



それがなければ、私まず間違いなく遭難しますから。


(持ってても遭難しかけたことありますけど汗



ビギナーにも満たないので「防御思想」を感じることはできませんが、


曲輪をよく見、全体を歩き回るため、


縄張図を描くと、その城の縄張りが否応なしに刻まれることを実感しました。





でも縄張図を「また描きたい!描けるようになりたい!」とは思うものの、


今までの見学だけの攻城スタイルを辞めるつもりはありません。



私は欲張りなので、


縄張図を描く日もあれば、 山城めぐりをする日もあれば、


古戦場など高低差で感じる城めぐりをする日もある ・・・etc etc


と、いろんなスタイルで城郭を楽しみますワラッ




何にしても楽しいことが一番ですからねaya 音譜


先回書いたように(詳細はコチラ) H25/6/2(日)に


飛騨で唯一の国指定史跡である“高原諏訪城”の見学会に参加しました。





お隣とはいえ、高速道路使っても3時間以上掛かる飛騨国、


欲張りな私が見学会だけで済ませるわけがありませんふ


(ほど変わらないことが判明して下道で帰りましたけど)





というわけで、“増島城(ますじま城)に寄り道です~。




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ありゃ・・・?


神社になってて、積み直しオーラが漂っておりますな顔





石垣をなめるように、「じーーー顔 じー」っと見ておりましたら、顔文字ビクッ




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上の写真の隅部アップ


鳥君がこちらを「じーーーー顔 じー」とみてました。


まったく動かないから死んでるのかと思ったです顔文字




このあたりを2周ほどぐるぐる見て回ってたけど、その間ずーっとこのポーズでした。


鳥にも低血圧ってあるんかね?(笑))


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気を取り直して、ぐるっと一周回りますと、明らかに先ほどとは違う、イイカンジの石垣♪





調べたら近くに移築門があるってことで、Let's go!GO!!



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林昌寺の山門(増島城移築門)



着いてから知ったのですが、金森氏の菩提寺だそうでお墓も参拝させていただきましたアーメン


円光寺にも移築門があるとのことでしたが、時間がなかったので割愛・・・。




予定では“蛤城”も行こうとしてたんだけど、寝坊したもんで時間がなくなっちゃいましたσ(^^;


“蛤石”だけでも見たかったんですけどね。




その話をしたら「それはムリだわ」と言うわれちゃいましたテヘッ{やっぱり・・・?


時間を気にしながら見学できる城じゃないカンジです。






高原諏訪城の見学会は午前中だけですが、もちろん私は午後からも城めぐりしますよきゃはっ



目をつけていたのは“小鷹利城(こたかり城)




そんな話をしてましたら、佐伯先生が案内してくださるとのことで、


嬉しすぎて、恐れ多くて、パニックになりましたー!びっくり!{い、い、いいんですか!?





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堀切 with 佐伯先生とフォロアーさん




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畝状空堀



畝状空堀があるんですが、残念ながら藪の成長期でよく見えませんでした・・・。


歩けばちゃんと畝ってることが分かりましたケドねすきっぷ




ここでも「攻城ルートと防御」について、


増山城と亀山城(増山城の出城)と比較してお話してくださいました。


(これがきっかけで私は初登城からわずか1ヶ月後に増山城に再登城することになるうしし♪





「秋にリベンジだね~」とフォロアーさんと話していましたら、春先がオススメとのことでした。



それにしても、飛騨はいいお城がいっぱいで困るわ~。


ただ北陸や飛騨のような豪雪地区は訪城時期が難しいですよねーンー


スタッドレス買わなきゃかな(苦笑)




H25/5/12(土)に雨の中、甲賀の城攻めをした日(詳細はコチラ雨が・・・。



飛騨で唯一の国指定史跡である“高原諏訪城”の見学会が予定されていました。




(江馬氏館、高原諏訪城ほか複数の城で国指定史跡に登録されている)


ところがその日は飛騨も雨で、見学会はH25/6/2(日)延期になったそうです。



・・・ってことで、行って来ました飛騨国合掌造り




早駆けして(内容は後日)


「ここを早駆けすればよかったなー」と神岡城の模擬天守を見ながら、おにぎりモグモグしてたらaya


「kaiさーん、佐伯先生です」とフォロアーさん。



越中の図面って言えば佐伯先生(の図面)と言っても過言じゃないのお方!



GWは(勝手に)大変お世話になりました~!などと思いながら(詳細はコチラ


「本日は宜しくお願いします」とご挨拶aya



驚くほど、気さくな方でした!




それから“増山城 解説ボランティア 曲輪の会”の方もいらっしゃってて、


なんと城ガール隊のブログにコメントを下さった方でした!


素敵な出会いが続いて、お城見学の前から感動







見学会に集まったのは15名ほどで、


曲輪の会のほか飛騨市(?)の史跡研究の3つ団体の方ばかりでした。


一般人は私とフォロアーさんの2人だけびっくり!汗。〇(場違いな気が・・・)





高原諏訪城はすぐ近くまで車で行ける城です。


(専用駐車場はないですが道路脇に車4台停められました)





詳細レポじゃないけど、特に印象に残った2つの遺構を紹介します。


(※解説、考察はすべて現地説明会で得たものです)


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3本の連続堀切



1本は道路になってしまってますが、3本の堀切がズバズバっと入っています。


飛騨で3本以上の連続堀切を持つ城はこの城だけだそうです。



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同上 



堀切というのは、進入を阻止するのに効果的ですが、


反面、城を分断してしまうというデメリットがあります。




上の写真には見張り台と思われる曲輪がありますが、


ここに配属された兵士を救助するルートがなく、「俺のために死んでくれドクロ」状態です。


(平常時には橋などが架かっていたでしょうが、臨戦時には落とされただろうとのこと)



織豊系の城にはちゃんと兵士を収容するためのルートが築かれており


それが戦国大名と地方豪族(領主?)の築城技術の違うところです。






この城で1番の見どころは


「大堀切をを隔てて南北で造られた時代が違うということ。



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大堀切を降る 参加者さんたち            攻城なう!



時代が古い方には曲輪に虎口がないんです!


虎口って曲輪の出入口だからそれがないってどゆことー?



さながら現在の増山城の安室屋敷(あぢちやしき)のように、


主郭にも梯子のようなもので出入りしてたってことでしょうか?





新しいほうはというと、こちらも虎口らしい虎口はありませんが、


ルート(導線)と横矢掛けを意識した造りになっていましたいて座



(詳細レポはもう一度、取材来訪してからのUPにするので、いつになるか私にもわかりませーん・・・)






高原諏訪城見学のあとは、麓にある“江馬氏下館”を訪れました。





参加者さんにここの職員さんがいらっしゃって、発掘調査のエピソードや解説をしてくださいました。




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江馬氏館 と 高原諏訪城(奥の山) with 参加者さんたち





このアングルで撮ると「江馬氏館と高原諏訪城は根小屋の関係なんだなキラン!って思いますが、




違います爆弾







佐伯先生はじめ、城郭研究の先生方もそう思われたそうですが、



高原諏訪城が使用された時期と江馬氏が存在した時期があわないそうです。



しかも江馬氏のお殿様、この館の堀を自分で埋めてどこかへ行っちゃったとか。




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庭園





庭園の良し悪しってよく分からないけど、


こーゆーのはインスピレーションで感じるもので言葉はいらないですよね!



(ただ単に言葉知らずというか表現力や文章力がないともいう)








高原諏訪城見学会はここまで~!



このあと時間の許すメンバーは小鷹狩城へ向かいました。



その話は単騎早駆けとあわせて後日します。




■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □




今回の見学会に参加して非常に興味深かったのは


「攻城ルートと防御思想」


「織豊系と地方領主の築城の違い」 です。




説明を聞きながら「なるほど!」「面白い、すごい」とは思ったものの、


ちゃんと理解できてないから(説明下手&語学力がないのも手伝って)説明ができない





もちろん常に「攻城ルートと防御思想」について興味は持っていますが、


そういうことを想像できないので、


遺構をみて「すごーい!!」とはしゃぐ、いわば“遺構オリエンテーリング”が主になっています




そういう楽しみ方が悪いとは思いませんが、



「どう守って、どう反撃するか」という視点で見ると、1つステップをあげられるのではと感じました。





それをより感じ取る方法は「縄張図を自分で描く事」だと先生は仰いました。




縄張図を見ただけでは分からないことがある



縄張図を描く事で初めてわかることがあると・・・。





これもフォロアーさんに言われたことがあり、「縄張図を描いてみたい!」とは思っていますが、


描こうと思ってすぐ描けるものじゃありませんし・・・







あと参加された方が地元の増山城や亀山城と高原諏訪城を比較して質問されているのをみて、



「比較がもっとも勉強になる」とフォロアーさんが言っていたのを思い出しました。



「何回行っても飽きない」っていう城を持っている人が多いですが、私はありません。


(あるにはあるのですが、県内の城じゃないので滅多にいけない・・・)


1時間半以内に行けるところで、そういう城を見つけたいなと思いました。