明智長山城レポいきまーす!
先回 は大手道をとおり、東出丸曲輪と中ノ曲輪まで見ました~。
現地説明版
馬場には七ツ塚ってのがありまして、
1556年に斎藤義竜(斎藤道三の嫡男)が攻め寄せたとき、
討死した明智軍7武将を弔ったとされる塚だそうです。
逆茂木 馬防柵
その曲輪は逆茂木と馬防柵が再現されておりました。
逆茂木ってこんなんでしたっけ?
逆茂木って堀のなかにあるものだと思ってたんだけど・・・?
※Yahoo!辞書によると
「敵の侵入を防ぐために、先端を鋭くとがらせた木の枝を外に向けて並べ、結び合わせた柵」
とのことなので、間違ってはないようです。
馬防柵も、あちこちで復元されてるけど、
あれって確か長篠の戦いで初めて登場するんじゃなかったっけ?![]()
・・・まあ、いいや。
で。
なんで説明版に製造年を入れたのかね?
しかも表に!
ものすんごくマヌケですぞ
(ちなみに馬防柵も「馬防柵2009」となってます)
本丸 城址碑
【明智城 説明版 要約】
・長山城とも言われ康永元年(1342年)明智次郎長山下野守頼兼により開城
・周囲に土塁や逆茂木をめぐらした山塞
・弘治2年(1556年)11代明智光秀のとき、斎藤義竜により落城した
本丸といいながら、案内板では「本丸曲輪(三ノ曲輪)」とされる始末・・・。
西出丸 搦手曲輪(西出丸より)
『搦手曲輪跡』っていう石碑がたってましたが、
現地案内板に書いてある『搦手道』は違う方向に伸びてます(-▽-;)
ではその搦手道を降りていきますー。
出丸
搦手道のすぐ脇にあります、これまた案内板には登場しない曲輪『出丸』~。
案内板を見ると位置関係が「あれ・・?
」となる台所曲輪と水の手~。
水の手には井戸か雨水を溜める穴でもあるんかな?
西大手曲輪 乾曲輪
『西大手曲輪』といいつつ、そのさきに『搦手門跡』があるあたり、どうなの?
『西大手門跡』の間違いってことでいい?
西大手曲輪に祠みたいなのがあって、こんな説明版がありました。
興味ある方はポチっとすれば拡大するので見てください
←もう投げやりw
お城の麓にある天龍寺に明智一族のお墓と
日本一大きい184cmの光秀さんの位牌があるそうですー
一般公開してるんかな?
その天龍寺の鬼瓦~。
よく見る明智光秀の水色桔梗の家紋と違って複雑な形してますね!
お墓っていうんだから墓地にあると思うでしょ?
でもね、墓地にはちゃんと可児さん(このあたりに多いのかな)のお墓があるのに、
明智一族のお墓はね、駐車場の一角にまとめておいてあるんです
いちおー、そこそこ高い石段に乗ってるから
アクセルとブレーキ間違えても突っ込みはしないと思いますけど、
明智ファンは憤慨すると思いますですよ
お墓の写真は載せないことにしてるので、
興味ある方はぜひ可児市までお越しくだされ~щ(゚▽゚щ)カモーン!
近くに芳しい遺構をもったお城が多々ありますぞ!
たとえばねー、金山城とか久々利城とか大森城とか顔戸城とか~・・・・
と、さも行ったかのように言ってますが、行ってません
お城サイトさんの評価ではけっこういい評価をされてる明智長山城。
真冬の草木のないときに尾根や曲輪に侵入したら、見られる遺構があるかもしれません
















