八王子攻めの3日目レポは飛ばします・・・
2014年の大河ドラマは“黒田孝高”こと“黒田官兵衛”に決定しましたね
噂が出たけど主役をつかめなかった明智光秀さんを慰めるべく“明智城”をレポしまーす!
(・・・というのは名目で、レポが軽い城をあげようとしてるだけですよ)
岐阜県は可児市にあります“明智城(明智長山城)”
ここが明智光秀の出生地だといわれています
ちなみに同じ岐阜県の恵那市明智町に“明知城”という城がありますが、
こちらは当時 遠山氏の領地であるため土岐氏である光秀とは無関係と言われてます。
※ここまでに「明智」と「明知」の2種類が出てきますが、誤植はありません。
ちなみに明知鉄道なるローカル線が走っているのですが、
駅名は「明智駅」という紛らわしさです
(恵那市明智町は明治時代に「明知町」から「明智町」に変更したそうです)
紛らわしいので可児市の明智城は“明智長山城”と表記しまーす。
大手口
なんとも真新しい案内石・・・。
この大手口の坂を桔梗坂というそうですー
(とってつけたカンジがバリバリだな・・・。という感想は閉まっておいてください)
大手口にある説明版。
とても単純な城で一目みれば頭に入っちゃいそうですが、大手道を登ると
大手道を登った先にある看板
こんな立派なの頂きましたー。
大手口にもコレ置いておこうぜ、可児市さん・・・
大手曲輪
コンクリの石垣で覆われた大手曲輪。
曲輪全体が写ってないのは、「明智城址公園」を撮っただけで、
それが大手曲輪だったということを後で知ったからデスヨ・・・
だから、入口に詳しいほうの説明版置いてください、可児市さん。
冠木門を潜りまーす
大手道は東出丸曲輪(一ノ曲輪)と中ノ曲輪(二ノ曲輪)の間を通るので、
左右からバンバン弓を放たれて、矢の豪雨状なること間違いなし!
しかもご丁寧に食違い付!
大手道を登りきって、横矢を仕掛けてた東出丸曲輪(一ノ曲輪)へ進入しましょー!
配水池って水道局のほかに警察が関わってるんですね!
それだけ水は重要ってことなんですねぇ。
このタンクの左側をズイズイ進むと、堀切のような切通しのような道が2つほど現れます。
明らかに遺構じゃなかったんで撮りませんでしたけど、
城跡見学者のためにわざわざ作ってくれたんかな?
東出丸曲輪(一ノ曲輪)の土塁?
6月ごろなんで、THE 藪!でございます
ビミョーに土が盛り上がっていました。
これは曲輪・・・・だと思います。
赤い線のところで一段下がってるように見えました。
芳しそうな遺構はなかったんで、大手道へ戻ります。
案内板まで戻ってきました~。
二ノ曲輪は一ノ曲輪と同じ「し」の形をしていますが、
夕暮れだったので、こちらは立ち入らずじまいです。
二ノ曲輪とは別に二ノ丸曲輪があるってなってますが、
堀切とかがないので、どこからが二ノ丸曲輪か分かりませんでした{・・・
今回はここまで~
次回はコチラ