早雲庵宗瑞が始まりの城“興国寺城”
このお城も“根古屋”だったのか、城址のすぐ近くの信号には“根古屋”という地名がのこっています。
城跡整備なのか、なにか建物を建てるためなのか、分かりませんが現在、発掘調査中でした。
興国寺城は東海道を抑えることのできる交通の要衝だったそうです。
そんな要衝の地を与えるとは今川氏親さんは相当、早雲さんに感謝してたんですね
なんとどっしりした土塁でしょう
さすが戦国時代真っ只中の中世城郭ですね。
天守台(南側)の石垣
天守台の南側には石垣が用いられていますが、これは早雲時代ではなく、
後世の城主が後付けした見せびらかすための石垣とのことです。
(海だったため?)南から攻城される危険はないらしく北側にはこれ↓
どーん!
小峯の堀切に劣らずの大空堀
実際に登ろうとした人が居ましたが、途中で断念していました(その写真を取っておけばよかった)
小田原城の小峯の堀切といい、北条の掘はステキすぎるっっ!!
ちなみに、夏場には強力な斥候がにらみを効かせるようなので、ご注意ください