浜松城と江戸城へ行って思ったのですが、同じ“野面積み”でも随分印象が違いますね
写真ではちょっと見づらいですが、
富士見櫓の石垣は「野面積み・・・ですよね?」と聞きたくなる野面積みで
浜松城のほうは「野面積みですね!d(・▽・)」と誰が見ても明らかな野面積み。
“時代によって技術が発展していった”ということですよね!
学説では“野面積み”とか“切込接”、
野面積みでも“牛蒡積み”だとか“穴太積み”と呼ぶことがありますが、
往時の人たちはそういう区別していなかったでしょうし。
こういう場合は“前期の野面積み”“後期の野面積み”って呼ぶんでしょうか?