詰門(だまし門)でガイドさんとお別れして、天守へ向かいます
高知城はパッと見、大きな天守に見えますが、
(この三人組、空気を読まずにずーっとここでたむろってました)
あれれぇ
なんか小さいぞー?
ん!?どこかおかしい!
そうか!
天守台がないんだ
天守のガイドさんはGWの混雑により、マンツーマンじゃなくてその階ごとに分担されていました。
もちろん、全員にガイドしてもらいましたよ~
二の丸にも三の丸にも御殿があるのって珍しいんじゃないでしょうか?
50万石を越える熊本城や
徳川四天王の一人 井伊直政の彦根城(築城時18万石)も御殿はひとつだったかと・・・。
“本丸御殿”とは来客をおもてなしするため施設ですが、高知城のはかなり小さいです。
(本丸自体かなり小さいです)
高知のような辺鄙なところに重要人物は来ないため、小さめなんだそうです
さらに
(江戸時代に家事にあって消失し再建するのですが)金の障子や襖の松の絵などはなく、
経費削減の質素なつくりになってございます
もしかしたら・・・
( `▽´)「どーせ、客なんて来ないんだし(来ても使者だし)本丸御殿はテキトーでいいや。
その分、二の丸や三の丸御殿を大きく作っちまえ!」
ってことかもしれませんが
でも、再建できたということは幕府もOK出しているんですし、そういうことはなかったと思います
(再建届を出さないと武家諸法度違反となってしまいます。実際に被害にあったのが広島城主 福島正則です)