高知城の縄張図(現地案内板より)
杉の段から見た三の丸の石垣です。
中の土が長年の雨で膨張し、石垣が崩壊しだしたので5年ほどかけて修理し、去年完成したんだそうです。
その工事に携わったのは なんと
あの“穴太衆”の末裔(の方たちの会社)だというじゃありませんか!!(>▽<人{本格的ー♪
石垣ひとつひとつに番号を振ってあった場所に戻してあります。
石の三割が使い物にならなかったので、似たような石を探してきて来たそうです。
よくこんなに、そっくりな石見つかりましたね
そしてこの解体修理で“新発見”
が!
それがこちら!
長宗我部氏時代の石垣ですヽ(゚▽゚ )ノ
この高知城、先回 紹介した“山内氏”が城主なのですが、
山内氏が統治する前は“長宗我部氏”の領地でした。
岡豊城 から大高坂山(高知城のある山)に城を移そうとするのですが、
治水がうまくいかず断念し、桂浜の浦戸に城を設けました。
この石垣は、長宗我部氏が大高坂山に城を築こうとしていたという証拠いうわけです。
ところが、この高知城の石垣・・・・
ちょーーん・・・・
三の丸はお花見スポットでビニールシートの押さえ石に石垣の石を使う人が後を立たないんだとか
皆さん、飼石が取れることを知ってるんですね~(笑)