本山氏(本山茂辰)の居城“朝倉城”にも行きました。
本山梅慶のほうが著名でしょうか?
朝倉城に居城にしていた本山氏ですが、長宗我部氏に攻められて本山城へ逃れ、朝倉城は廃城となります。
これが長宗我部元親の初陣“長浜の戦い”です。
(実際の初陣は長浜の戦いの本戦の“戸ノ本の戦い”)
攻城前に、食料調達でござる!
この日(5/1)は高知城の前の通りで“日曜市”が開かれていたので、
お弁当に郷土料理の“田舎寿司”を買いました。
2個目は朝倉城から帰ってきた後、翌日の朝食用に購入。
左下の赤いお寿司、てっきりお刺身だと思っていたら生姜でした
(田舎寿司は,酢飯に柚子酢を効かせ、山里の食材を用いて盛り合わせた山間部に伝わる郷土料理です
高知市公式ホームページ より引用)
午後から晴れるとのことだったのですが、時間をつぶすところもなかったので、
仕方なく雨の中登城することに
(朝倉城から引きあげて、お昼を食べ終わたあとには素晴らしい晴天になっていましたけどねっ)
この“朝倉城”は前日登った“岡豊城”と違いほとんど整備されていなく(周囲は畑のようでしたが)
基本的に竹藪&落ち葉三昧でした
雨が降っているので滑る、滑る
堀切?竪堀?
詰の段と曲輪Ⅱの堀切を撮ろうにも、幅がありすぎるので撮れないし(それにしてもよく掘れたなぁと関心)
木で覆われていて縄張図がなかったらここが堀切だということも、隣に曲輪があることもわかりませんでした。
もっとも、縄張図を持っていても常時
「いや、どう見てもこの先は行けないでしょ~」とか
「いまどこ~この辺りに竪堀があるはずなんだけどなぁ?」って状態でしたが
朝倉城を登った方のレポを拝見してたのですが、
私には曲輪だとか堀切がどうなどと見学することはできませんでした
「時間があまったら縄張図でも・・・」なんて甘いことを考えていましたが、とんでもない!
詰の段の下にある曲輪Ⅰは藪で立ち入りできない状態でしたし、
そもそもどう行けばそこに辿りつけるのかもわかりません。
晴れだったらもう少し探索したかもしれませんが、雨は止むどころか勢いを増していましたので
四阿(休憩所)があるだろうと思ったのですが、椅子はあれど雨を凌げるところはなく、
お弁当は食べずじまいでした
帰りのルートには大きな竪堀があったのですが、竹が大量に生えていてうまく撮れそうにありませんでした
というより竪堀ってどう撮ったら(後から見て)竪堀だということがわかるのでしょう?
とまぁ、てんてこ舞いの朝倉城でございました・・・
予定ではこのあと“吉良城”に登城する予定だったのですが、
縄張図を持っていてもこんな状態でしたし(縄張図を入手できませんでした)
雨でしたので撤収いたしました
もし、また高知に来ることがあったら再攻城しよう・・・かな。