【散歩】たみ散歩「京都・伏見桃山」Vol.40 日本有数の酒処で有名な街並みを散策する!⑤ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【散歩】たみ散歩「京都・伏見桃山」Vol.40 日本有数の酒処で有名な街並みを散策する!⑤

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引き続き、京都随一のグルメスポットとしても知られる伏見区の伏見桃山を散策致します(前回の記事はこちら)。

この辺りはどの辺かと申しますと杉本町。



もうこの道を真っすぐに歩いていくとお土産屋さんが立ち並ぶ下油掛町に行きます。

居酒屋 ばり



旬のおばんざいを食べながら一献楽しみたいところ。

「三栖半町」。



伏見の銘酒処「大崎商店」がございました。



この後、月桂冠の大倉記念館にも行くわけですが、この街で飲めないのは本当に辛うございます。

再び「濠川」を渡ります。



「阿波橋」という橋のようです。



この橋を渡ると目に飛び込んでくるのが先日もご紹介した京都・伏見の老舗蔵元北川本家の乾蔵がございます。



乾蔵の玄関前には昔、米を蒸すのに使っていた大釜が展示されています。ちょっと大釜の前で記念撮影。



酒好きの小生としては恐悦至極に存じますぞ!

なにせ、明暦三年(1657年)の創業以来、酒造り一筋三百五十余年。今の本家の当主は14代目といいますから、大変な歴史を感じます。



浄土真宗本願寺派の「興禅寺」。



いよいよこの先が江戸時代、京都から南へと延びる、京の七口の一つである竹田口から伏見区竹田を経て伏見港へとつながっていた幹線道路「竹田街道」に差し掛かります。



昭和の雰囲気を色濃く醸し出す住宅街と酒蔵の街を経て外環状線まで続いているのです。

この辺りは「油掛通」と呼ばれていて「油懸地蔵(西岸寺)」の前の東西の通りをさします。。



上・中・下の3ヶ町からなっていて、江戸時代には伏見港(京橋付近を中心)に近く、京・大阪へ行き交う旅人で大いに賑わったとされます。明治時代、第一銀行が京都視点に続いてここ中油掛町に伏見支店を解説しました。



明治28年には、下油掛より京都駅まで、我が国最初の電気鉄道(後の市電)が営業を開始したんです。大正時代に明治天皇の桃山御陵築営に伴い、北一筋目の大手筋にその賑わいが移っていきました。この付近が物資集散地であったので、車町・塩屋町・木材木町・納屋町といった当時の繁栄ぶりを示す地名が散在しているんです。

竹田街道が通る下油掛町にある和菓子の総本家駿河屋さん。



安土桃山時代、豊臣秀吉公の大茶会の引出物に使われたという「紅羊羹」が有名です。約四百年前の味を楽しむことができます。

後で「寺田屋」さんはじっくり見物するとして、ちょっくら竜馬通り商店街を見物しにいってみます。



今日はここでお終いです。いよいよ日本を今一度せんたくいたし申候、竜馬ゆかりの地を歩いていきます。お次は「【散歩】たみ散歩「京都・伏見桃山」Vol.40 日本有数の酒処で有名な街並みを散策する!⑥」をお届けしますのでお楽しみに!

written by たみと@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方