【散歩】たみ散歩「千葉・上総一ノ宮」Vol.34 一宮海岸から海のパノラマビューを眺める!⑤ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【散歩】たみ散歩「千葉・上総一ノ宮」Vol.34 一宮海岸から海のパノラマビューを眺める!⑤

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引き続き、千葉県の外房にあるJR東日本の外房線の「上総一ノ宮駅」の記事をお届けします(前回の記事はこちら)。


ここから「玉前神社(たまさきじんじゃ)」方面に歩いて行きます。



老舗のお土産屋さんが並んでいます。



江戸時代に上総一の宮で和菓子店を創業した現在唯一の和菓子老舗「かねきち」さん。



江戸時代 弘化4年(西暦1847年) 第121代 孝明天皇(こうめいてんのう、1831年7月11日 - 1867年1月30日)、12代将軍 徳川家慶(とくがわ いえよし、1793年5月14日 - 1853年6月22日)の時代に、 菓子職として京都嵯峨御所御墨付をいただき、なお精進し、現在まで和菓子司として玉前神社参道に店舗を構えております。お墨付きを頂いてから、更に172年間、ご愛顧いただいているとのことです。

こちらが「玉前神社」の鳥居。



早速行ってみましょう。まずはご神水を賜ります。



ペットボトルにて持参することもできます。ご利益を下さるのは、大地のパワーと女神様。私もそのご神水で身を清めます。



玉前神社(たまさきじんじゃ)は、千葉県長生郡一宮町一宮にある神社です。祭神は、玉依姫命(タマヨリヒメ)。



玉前神社内にある「三峯神社」。



秩父の三峯神社(みつねじんじゃ)から勧請した伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉册尊(いざなみのみこと)を祀っています。

「玉前稲荷神社」。



由緒ある玉前神社を散策していきます。この鳥居を潜ましたたら本殿がございます。



1,200年以上の歴史を持つ神社。一宮町は房総半島九十九里浜の最南端に位置し、一年を通して寒暑の差が少なく温暖な気候に恵まれた土地で、縄文弥生の頃から人々の営みがあったことが遺跡や貝塚などによって明らかにされています。



歴史の古いこの一宮町の名称の由来となった玉前神社は上総国にまつられる古社であり、平安時代にまとめられた『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』では名神大社(みょうじんたいしゃ)としてその名を列せられ、全国でも重きをおくべき神社として古くから朝廷・豪族・幕府の信仰を集め、上総国一之宮(かずさのくにいちのみや)の格式を保ってまいりました。



しかしながら永禄年間の大きな戦火にかかり、社殿・宝物・文書の多くを焼失しており、ご創建の由来や年数また名称についてなど明らかにされていませんが、毎年九月十日から十三日に行われるご例祭には少なくとも千二百年の歴史があり、移りゆく時代に少しずつその形を変えながらも、古代からの深い意義を連綿と守り伝えてきたことを何よりの宝物として、この郷の人々と共に大切にしています。



「上総の裸まつり」「十二社まつり」と称されるこのお祭りは房総半島に多く見られる浜降り神事の代表として広く知られ、壮大な儀礼をひと目見ようと、関東一円から大勢の人々が集います。

 

出典:日本の祭りさん。 - Japan Travel Guide -



社伝では、玉依姫命は海からこの地に上がり、豊玉姫命から託された鵜葺草葺不合命を養育した。のち鵜葺草葺不合命と結婚し、神武天皇(初代天皇)らを産んだとされます。



「子宝いちょう」。



雌株(右)と雄株(左)の真中に実生(みしょう)の子どもいちょうが育っています。雌株→雄株→こどもの順に両手で触れて子宝を願うとよいと言われています。



玉前神社は、富士山と出雲大社を結ぶライン上にあり、このラインの上には寒川神社(神奈川)、竹生島(滋賀)、元伊勢にある皇大神社(京都)、大山にある大神山神社(鳥取)があります。



その中でも玉前神社は最も東にあるため、関東屈指のパワースポットと言われているそうです。



「護錨記念碑(ごびょうきねんひ)」



明治の末、九十九里浜の海に沈んでいて度々漁網に被害をおよぼしていた錨が漁師の網に掛かり引き揚げられた。漁師達は玉前神社のお陰と大いに喜び、網主十一名が東郷平八郎海軍大将に篆額(てんがく)をいただき、その錨とともに碑を建てたんだそう。当時の漁は砂浜より船を押しだ地引き網漁で、現在は観光地引き網が町内数か所で行われているといいます。

「力石」。



力石は、祭礼の日などに力自慢によって競われた遊び道具で、別名、玩戯石(かんきいし)ともいいます。横綱・太刀山(たちやま、当時関脇)一行が一宮を巡業した折、八十五貫(約319kg)といわれるこの石を幕内力士の若さくらが軽々と持ち上げたと伝えらています。

「招魂殿(しょうこんでん)」



大正十二年(1923)建立。日清・日露戦争以降第二次世界大戦までの一宮出身325柱の戦没者を祀っています。

「西南戦争紀念・碑征清紀念碑」



明治二十七年(1894)に始まった、朝鮮をめぐる我国と清国との日清戦争で戦死した22名の戦没者を顕彰した碑で、明治二十八年(1895)に建立されました。西南戦争紀念碑は、明治十年(1877)、西郷隆盛の挙兵した「鹿児島の乱」に対し、徴兵制の政府軍の一員として参戦した長柄・埴生両軍(現・長生郡)の16名の戦没兵を顕彰した碑で、明治十一年(1878)に建立されました。



今日は玉前神社のご紹介で終わりました。上総一ノ宮ぶらり散歩はもう少々続きます。お次は「【散歩】たみ散歩「千葉・上総一ノ宮」Vol.34 一宮海岸から海のパノラマビューを眺める!⑥」をお届けしますのでお楽しみに!


written by たみと@プロマリ