シュタイナー教育、アントロポゾフィーの人間観 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “‥‥‥ここまで私は、何度か「障害児」「障害者」という言葉を書いてきた。そのたびに「障害児」「障害者」の言葉に抵抗をおぼえながら……。この抵抗は、日本でもドイツでも、もちろんその他の国でも、今の時代に多くの人が感じているものに違いない。

 じつはシュタイナーの人間観では「魂の擁護を求める子どもたち」という厳密な呼び名があるのだが、これは日本語訳だけでなくドイツ語でも“seelenpflegebedürftige Kinder”と、そのつど口にするには少々長い言葉になってしまう。そのためシュタイナー教育の関係者たちも、これから述べる人間観をあくまで前提にしたうえで、「いわゆる障害者」とか「いわゆる心身の不自由な人」と「いわゆる」をつけながら「障害者」の表現を使うことが多い。

 ただ「精神薄弱」とか「精神病」のようにだけは、絶対に言わない。これらの語彙は、そもそもシュタイナーの思想=アントロポゾフィーにおいては存在しない。「精神」は、すべての人間が健全だ、というのがアントロポゾフィーなのである。”(P159~P160)

 

 “そう、障害者は、今回の人生を始めるにあたって、あえて不自由な身体や、自由に外に出しにくい心を選んだのです。その人がなぜそのような決意をしたのかについては、今は深入りしませんが、ただ、そういう不自由な体や心をすみかにしたときの、その人の人生では、そうでない人生を選んだ場合にくらべて、自我の発展の度合いがずっと高くなるといわれています。この点に、まさにいわゆる障害児に向けたシュタイナー教育の真髄があるのです。

 つまり、そうした人生を選んできている人たちにたいして、健常の人たちが取る姿勢は、

 

  身体が完全さにめぐまれず、

  心に障害があっても、

  精神は健康である。

  つまり自我には何の障害もない。

  むしろこの人生で高い発展をとげるべく降りてきた自我のために、

  障害の在る身体と心にむけて、

  特別厚い配慮をしよう。

 

 ということになるのです。

 

 さて、一般の教育用語でいう「障害者教育」はシュタイナー教育では「治癒教育」と呼ばれる。フェーレンビュールの学校の先生たちは、右に書いた人間観のもとでの教育学を学び、「治癒教育」の専門資格を取った人たちである。そしてシュタイナー教育のなかでは、治癒教育のほうが一般の学校教育よりも、いわばレベルが一段と高いのである。だから、たとえば治癒教育の資格を持つ先生は、一般の子どもの教育をすることもできる。でもその逆はできない。

 日本で「障害児を普通学級に」と主張している人たちから、「シュタイナー学校では障害児を分けているのか」と不可解な顔をされることがある。これに関してぜひ知っておいていただきたいのが、今書いた事情である。治癒教育者には普通教育以上の力量と資格が要求される。

 そもそもシュタイナー自身、若いときに水頭症の子どもに家庭教師をした経験から、一般的な学校教育の具体的な方法も見通せるようになったのだ。彼は、むしろ健常といわれる人間の誰にでも、集中力が弱いとか、反応が遅い、人間関係が苦手だ等々の、「障害」が何かしらかくされているのだという。だから、健常児の教育にあたっても、一人一人の子どもにそうした観点から接していける教師のほうが、力量があるのだといえる。

 キャンプヒル運動の創始者は、カール・ケーニッヒ(一九〇二~一九六六)という。彼はウィーンの医学生だった時代にシュタイナーの人間観を知り、この思想に根ざす医学の実践こそが自身の課題だと考えた。ただ、ドイツがやがてナチスの独裁時代に入ったため、ユダヤ人の血をもつケーニッヒは、スコットランドに亡命、ここで最初のキャンプヒル村をつくった。障害児の学校も始まる。その学校には、健常児だった彼の子どもたちもともに通った。”(P163~P165)

 

      (子安美知子「シュタイナー再発見の旅 娘とのドイツ」(小学館)より)

 

*障害児でも普通の学校に通うことができるようにするには、学校の環境整備や教師の力量の向上が不可欠となります。しかし、そうすると限られた予算の中で、ただでさえ多忙な教師たちに更なる負担を強いることになってしまいます。これは社会全体で取り組んでいかねばならない問題です。

 

*「高いレベルの魂ほど、あえて不自由な肉体を選んで生まれてくる」ということはエドガー・ケイシーのリーディングでも言われています。そして、当然のことながらそのような方々が生涯不自由なままで一生を終えなくてははならない、ということにならぬよう、様々なケアや治療が受けられるように環境が整備されなくてはなりません。

 

*先月、ヒカルランドから発売された「エドガー・ケイシー療法のすべて 4」(光田秀著)では、ケイシー・リーディングに基づいた神経疾患や精神疾患についての治療法が詳しく掲載されています。ALSやパーキンソン病、認知症、自閉症、パニック障害、うつ病、統合失調症など、現代医学でも治すのが困難な症状に対して、整骨療法やある種の電気治療などが勧められています。多くの場合、原因は背骨や骨盤のゆがみ、血液中の毒素、内分泌腺の異常、そして過去世からのカルマだということです。

*リブログ先で紹介させていただいているように、シュタイナーによれば、ダウン症児が霊的な存在であるということにはちゃんと生物学的な根拠があるようです。そして明治以前の日本には、障害児を福の神=福子とみなす伝統がありました。どうにかしてこの伝統を復活させたいと思います。

 

・仙台四郎 (「福の神」となった少年)        

 

 “この仙台四郎は明治時代の人で、その名の通り仙台に住んでいたらしい。明治三十五年(1902)、47歳で亡くなったというので、逆算すれば、安政二年(1855)の生まれである。毎日、仙台の中心街にあらわれては商店街をブラつき、その日、気に入った店があると、その店の前に座り込んでは何時間でも店を眺めるのが趣味という、知的障害者だった。そして店の人たちはそのことを苦にすることもなく、ときどきは彼に食べ物を施したりして、彼の存在を商店街の風景の一部として受け入れた。そんなことから、彼が好んで座り込んで観察した商店は繁盛するといわれるようになり、いつしか〈福の神〉仙台四郎という名がつくようになったというのである。

 その仙台四郎の写真が一枚だけ残っていたらしい。それをもとに、大正期にいくつかの肖像画が描かれ、あるいは、その写真も複製されて、商売繁盛の守り神として祀られるようになったという。それがバブル後退期のころ、仙台の女子高校生の目にとまり、仙台四郎のポートレートのお守りが定期入れや財布の中にしまい込まれ、さらにそのブームがたくさんの仙台四郎グッズを生み出した。その一部が通信販売のカタログにも載り、全国へと販売された。

 こうした仙台四郎のような存在を、明治以前の日本社会は「福子」と呼んだ。ただし、この語は残念ながら『広辞苑』にも載っていない。「福子」とは日本の福祉思想を表現する素晴らしい言葉であることには間違いない。まさに福子とは〈オウ〉(注:著者が主張する「根元の言葉」)が発するオクレの贈り物だ。”

 

 “いうなれば〈福子〉という存在は、社会を映し出す鏡なのである。彼を追い出そうとすると、その人の中では彼は疫病神や貧乏神へ転じるかもしれないが、そうしなければ〈福の神〉にはならなくても、けっして迷惑をかける存在にはならない。というよりも、〈福子〉への普通の接し方によって、社会は確実に浄化されてゆくのだ。障害児を〈福子〉と捉えるこの考えの中には、日本の社会福祉思想の原点がある。そして、この言葉はきわめて日本的霊性に輝く言葉である。わたしはこの言葉を埋没させることなく、さらに輝かせることによって、日本型社会福祉の原点にさせたいと思っている。”

 

    (菅田正昭著「アマとオウ 弧状列島をつらぬく日本的霊性」たちばな出版より)