キリストの御受難の体験〔テレーゼ・ノイマン〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “アダムの堕落によって、全世界に罪が入り来ったので、その後裔たる者はその贖罪に與(あずか)るべきものである。人類共通の責任について又これを贖ふべき義務などについては異教の人々も考えたことで、既に彼等の内には犠牲の観念、罪なき者を犠牲に捧げることによって得られる神々の喜悦(よろこび)など、又、これによって最もよく彼等の心を和らげることなどが明らかに考えられた。

 神は錯誤多き異教に優れて、神御自身に於てその選民を利用して最善の贖罪の方法を立て給うた。此の贖罪精神はイエズス・キリストの受肉聖誕とその苦難と凡ての人々に代わりて死に給ひし死とに依って最高點に達した。然し、これによって罪は全然根絶されないのみならず、その存在を続けてゐる為、これを犯す人類によって贖われねばならない。

 ゴルゴダ山上の贖罪の犠牲を表示する、かのミサ聖祭は畢竟、キリストの犠牲の不断の再新と継続との実行で、しかして人類は個人的、又、代償的受難を意味する苦難によって此の貴き贖罪の一部に係り得るのである。神は苦難を人々に負ひ得る程度に分ち給ふ。只単なる受動的受難でなく更に有効なものは救い主の御受難に自ら進んで與ると云ふ積極的の苦難甘受で、これこそ直ちにキリストの御生活に肖(あやか)ることである。

 主の御言葉の通り「み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを……されど我が意の儘(まま)にとは非らず思召しの如くになれ」(マテオ六。十、同廿六。三十九)である。”

 

(テレーゼの体験)

 “「突然、救い主が私の前に顕れ給ひました。その環境は橄欖(オリブ)の山でした。この事があっても最初その意味が私には充分に解からずにゐました。

 私はキリストが跪いてゐられるのを見ました。又或る時は明らかに樹々と岩と恰も一つの庭園にある様な光景を見ました。次に三人の弟子を見ましたが、それはよく絵などにある様に彼等は眠ってゐないで非常に失望の態で岩にその身を投げかけてゐました。その後、私は救い主を見てゐる間、急に私の胸に一種の苦痛を覚え、私は自分の死期が近づいたことを感じました。又同時に、胸に何か熱いものの滴るのを感じました。

 それは正(まさ)しく血でした。此の血の滴りが、その日の昼頃まで続きました。その事が起こって後の全週間、全く静かになりあまり苦しまなくなりました。」

 テレゼはこの日が何日であったか知らずにこの示現に於て、「苦しみのロザリオの祈祷(いのり)」の第二の玄義(我等の主の鞭打たれ給ひし事)を経験したので、これはその次週の木曜日の夜の事であった。第三の木曜日の夜は第三の玄義(荊棘(いばら)の冠)で、第四の週間の木曜日は「十字架を負ひ給ひし事」の玄義をテレゼは見せられた。

 第五の木曜日には「ロザリオの祈祷」の順序に従って十字架につけられる事の玄義が豫期せられたが、実はそれでなく第一の玄義即ち「ゲッセマネの苦悩」を新たに見せられたのであった。

 クレセンチア、俗にゼンヅルとい呼ばれてゐるテレゼの妹の助けを得て、テレゼは自分の胸部の傷と血の流出とを聖木曜日まで人々にかくす事ができたが、聖週の金曜日にテレゼは脱魂状態(エクスタシー)に入り、全然自らと環境とを忘れたため、自分の目と胸とから出る血に依って、両親は、その苦痛の原因を追究する様になった。然し彼等は同時にテレゼの手と足とに出現した傷については知らなかった。

 「私は此の聖痕を何時受けたか全く知らない」とは此の時のテレゼの赤裸々な言葉で、「聖金曜の夜、単にさうであったのです。どうして私がそれを求めませうぞ。私は只イエズスを仰いで居たのです。私は気が付くと両手両足から血が流れてゐたのです。然し、眼から出る血の為、これを最初に見ることが出来ませんでした。私は夜分になって妹に『私の手と足とが、非常に痛むのです、一寸、どうしたか見て下さい!』と云った時初めてその原因が解かった次第です。」

 その時、両親が霊父ナベルを呼びに使者をやった。霊父が病室に這入ると「服従の心持で、卿(おまへ)の手と足との傷をおみせ」といった。霊父はそれを見て非常に感動し、暫時言葉なく只唖然としてゐた。霊父は此の事件を次の様に書き記した。

 「私は聖金曜日に他の一司祭と昼食後テレゼを訪問したが、テレゼは恰も殉教者の如く病床に横たはり両眼は血の為閉ぢその滴りは双方の頬に流れてゐた。テレゼは死者の如く青かった。

 救い主が死に給ひし第三時にはテレゼは激烈な死の苦痛を味わった。その後、次第に苦痛は薄らいだが受苦日の死の苦難の内にテレゼは、ゲッセマネの園からカルワリオ山に至るまでのキリストの凡ての苦難を見せられた。テレゼはキリストの御苦難と十字架上の神よりの抛棄(ほうき)の御苦痛とを経験した。テレゼはその時両手の外部と両足の内側とに強烈な痛傷を覚えた。その上、その痛む局部は丸く開けそこから鮮血が流れ出た。医師はこれについて周到な注意を以って診断をした」

 以来テレゼは聖痕をその身に経験したが、その為絶えず一種の痛傷を覚えた。その程度はあまり強くはなかった。その痛みは例へば「何かで身を刺す様な痛み」であるとテレゼは云った。胸の痛みの局部は内部的に非常に深くその場所はキリストが十字架上で刺され給うた胸の右の方とは違ふが全く心臓の上である。しかもその痛みは心臓に共通してゐる様に感じられる。又その傷は四月十七日まで十四日間、生傷の様に開けて変化なく、その後、柔らかな薄膜がその上を包むが金曜日になると、それが又無くなる。血は四旬節の毎金曜日に流出する。しかも千九百廿七年の復活祭から聖霊降臨祝日まで、即ち、聖会の「喜悦(よろこび)の期(とき)」の間は、金曜日にある様な痛みは全く起こらない。

 両親は云ふまでもなく医者もその傷を癒す為、膏油を塗ったが却って苦痛を増すばかりで、テレゼはその為失心するほど苦しむので、直ぐ中止せねばならなかった。その膏油を取ると又痛みは次第に減じて行った。苦痛が増大するテレゼの唯一の頼みはかのリジューの聖女テレジヤである。テレゼは「治癒」を求める為には祈らない。只その傷に対して如何にすべきかと教へを乞ふのであった。”

 

       (フオン・ラマ「現代の聖痕 テレゼ・ノイマンの事績」光明社より)

 

*テレーゼ・ノイマンについては、パラマハンサ・ヨガナンダ師が「あるヨギの自叙伝」でドイツのコンンネルスロイトに彼女を訪ねたときのことを書いておられるのでご存知の方も多いと思います。ただ私の知る限り、テレーゼについて書かれた本で邦訳があるのは二冊しかなく、むしろカトリック信徒でも知らない方が多いようです。クリスチャンの方々には言うまでもないことですが、今週は聖週間で、今日が聖木曜日です。テレーゼ・ノイマン以外にも、聖痕を受け、キリストの御受難を幻視し、その苦しみを共に体験した人物は何人か存在するのですが、そのような幻視の内容を書きとめたものとしては、アンナ・カタリーナ・エンメリック(18~19世紀)によるものが有名です。やはりテレーゼと同じくカトリックの修道女で、まだ列聖されておらず、福者だったと思います。2004年のメル・ギブソン監督の映画「パッション」でも、彼女の幻視した内容が参考にされました。その幻視は邦訳され「キリストの御受難を幻に見て」という題で、光明社から出版されていたのですが、既に絶版になっています。メル・ギブソンの反ユダヤ主義は残念ですが、「パッション」の続編が制作されるのであれば、ぜひ観てみたいと思います。