スサノオは「息(ルーアッハ)」の神  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・スサノオは「息(ルーアッハ、プシュケー)」の神 

 

 “旧約聖書を生み出したユダヤ人、いまはヘブライ人とかイスラエル人とかいうふうに呼んでおりますけれど、このヘブライ人の生活の場は、砂漠にお出でになるとお分かりのように、行けども行けども起伏する砂地である。ゴロゴロした石の丘陵がつづき、そのはてに峨々とした岩山が聳えている。荒涼とした世界である。見るものは青々とした天だけです。そういう中でああいう唯一の神の宗教が起こったのです。それは日本とはまさに対照的です。日本は春は桜が咲きますし、秋は紅葉が美しく彩っている。豊かな緑に包まれておる。昔に比べれば日本は随分緑が少なくなったという声も聞かれます。それでも先進文明の中で一番日本が緑が多く、国土の六十七パーセントは緑におおわれております。そういう日本とユダヤの地は対照的であります。ただ彼らは文化的に何も遺すものはなかったと言ってもいいくらいであります。しかしユダヤ人たちはただ一つ神の教え(律法トーラー)である聖書を遺した。その中を見ると、人間は神から霊を吹き入れられて、人間となったと述べている。それを「聖なる霊」―― ルーアッハ・コデシュといいます。ルーアッハというのは霊です。コデシュというのは聖なるという意味です。人間は聖なる神の息を吹き入れられて創造された。これは霊という言葉に言い換えてしまっておりますが、本当は息と霊は同じであります。息の生命、古い日本の万葉の言葉を借りれば、生きの緒とかいう意味合いであります。ところが、ヘブライ人とは対照的な文化を生み出したギリシャ人、あるいはギリシャ語を使用するキリスト教も「聖霊」という言葉を使っております。それをプネウマ・ハギア、プネウマというのは息・風・呼吸というのが元の意味で、ハギアは聖なるということです。更にラテン語ではサンクトゥス・スピリタスと呼びます。これもやはり息・風の意味であり、サンクトゥスは聖なるという意味であります。キリスト教以前にヨーロッパは自己の宗教や神話がありました。そこへキリスト教が入り込んで来ました。この古いゲルマンの中心的な神はウォータンと言います。この主神ウォータンは風の神とか嵐の神とか言って、冬になると遠く北の方、グリーンランドの方から吹きまくる風をウォータンの神がやって来たというふうに、荒々しく厳しい神のように表現しております。しかし元を遡って探ってゆきますと、そうではないんですね。この風と呼んでいる神こそ、実は万物に生命を与え、霊を与える神という意味です。私はそういうことをヨーロッパへ行っていろいろ調べてきて、ヨーロッパのキリスト教が特に隠しているそういう面をはっきりさせようとしているうちに歳をとってしまいました。ヨーロッパの大自然や人間に生命や霊を与える神を、息や風の神で表わしているのです。ウォータン・ウォーデは息・風という意味です。最後に日本の神話や宗教では、古事記などに出てまいります素戔嗚の神は伊弉諾命の鼻から生まれたと言われております。鼻という身体的表現は極めて異様に感じられるかも知れませんけれど、鼻は人間にとって息をする重要なところであります。これはまさに風の神であり、嵐の神であります。色々なものに息を吹き込み吹き出す神であります。

 このように人間の存在の中で最高の価値として聖なる霊というものの働きを認めているということが、それぞれの宗教が期せずして言っている訳であります。こういう点で聖なる霊とか霊性とかいうものは一つの宗教だけではなく普遍的であります。ただそれは言葉が違い、民族が違い、歴史が違えば、違った表現やニュアンスがあることはもちろんであります。”(早稲田大学名誉教授、植田重雄)

 

     (愛善世界出版部編「出口王仁三郎の芸術」大本信徒連合会より)

 

 

 “人は衣食住の大恩を知ると同時に、空気の御恩を感謝せなくてはならない。”

                                (「霊界物語」第一巻第四章)