エスペラント運動 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・エスペラント運動

 

 “王仁三郎は「内外の人のこころを愛善の 真の光に照らしたきもの」、「神といひ仏といふも根本は みな愛善の別名なるべし」、「大本の法の源訊ぬれば ただ愛善の光なりけり」、「国々も境はあれど愛善の 真の教へは隔たりもなし」と高らかに詠っているが、人類愛善思想の普及の大きな武器となったのは、大正一二(一九二三)年に大本が採用した国際語・エスペラントだった。……(中略)

 

 エスペラントは一八八七年にポーランド(当時はロシア領)の眼科医ザメンホフ(一八五九~一九一七)によって提唱された国際共通語(世界語)である。ユダヤ人として激烈な民族抗争と差別を体験したザメンホフは、各民族の言語・風習・宗教・文化の壁を越えて万民が相互理解し、自由かつ対等に交流するための中立言語の必要性を痛感した。アルファベット二八文字と一六ヶ条の基本文法規則からなるこの人工言語は、学びやすく表現力に富み、発表から一世紀以上を経た現在、百数十ヶ国、およそ百万人がエスぺランティストとなっている。

 ザメンホフの熱意により一八九三年には早くもエスペラント連盟が結成され、エス語はヨーロッパ各国に普及した。トルストイなども、世界の人と人を平和と平等で結ぶ民際語としてのエスペラントの人道主義的性格に発表当初から関心を持っていたという。一九〇五年にはフランスで初めてのエスぺランティストの世界大会が開かれ、一九〇八年に世界エスペラント協会(UEA)が結成される。

 エスペラントは、その根底に内在思想としてのホマラニスモ(人類一家主義・人類人主義)の理念を包含していたため、一面ではコスモポリタニズム・アナーキズム・民族解放論とも結合しやすく、後にはスターリンによりブルジョア国際主義として弾圧された。また、フリーメーソンとエス語を関連付ける誤解もあり、ヒトラーはエス語使用を厳しく批判した。

 日本人でエスペラントを最初に学習したのは、ドイツ留学中の動物学者・丘浅次郎だとされる。明治三九(一九〇六)年には日本エスペラント協会が創立され、エス語の独習書として二葉亭四迷の「世界語」も発刊された。東京で催された第一回日本エスペラント大会には、大杉栄・堺利彦・黒板勝美などが参加し、秋田雨雀・吉野作造等もエスぺランティストとして活躍した。全国水平社の関係者や宮沢賢治・北一輝もエス語に共鳴したことが知られている。エスペラントは労働・農民運動や自由主義的な文化活動と結びついて普及したため、日本でも大逆事件以後は一種の危険思想とみなされ、大本教弾圧の一要因ともされた。

 だれのものでもない言葉 ―― 万民の言葉であるエスペラントの理想は、欧米の大国のエゴが世界を支配する現在の国際状況にあっては、必ずしも多くの民衆に理解されているとはいえない。国際語としての英語の流布に連動してエスペラント人口が伸び悩んでいる現状は、ホマラニスモの実現の困難さを端的に示している。だが、そのような中で日本でもヨーロッパでもエスペラント運動の初期から、視覚障害者が「目の見えない兄弟たち」として大きな役割を果たしてきた事実は特筆に値する。元々「エスペラント」の語は「希望する人」を意味するとされるが、視覚障害者が何故にエスペラントに引きつけられたのか、彼らがエスペラントに何を「希望」していたのかを知ることにより、エス語の反差別・人類人主義の特徴が具体的に見えてくるはずである。”

 

 “既に王仁三郎は大正初期から「人類のイロハ」の必要性について語っていたとされるが、前節で見たような人類同胞愛に立脚するエスペラントを教団として採用するのは第一次大本事件後のことである。大正一一(一九二二)年、バハイ教の女性布教師フィンチ等が綾部を訪れ、バハイが教団の公用語として使用しているエスペラントを紹介した。翌年すぐに王仁三郎は大本エスペラント研究会を組織し、教団内でのエス語学習を奨励した。同年一〇月には研究会はエスペラント普及会に改組され、対外的な活動の範囲を広げた。

 王仁三郎は「国と人の境を知らず天が下に 鳴り響くなりエスペラントの声」、「国際語エスペラントを活用し 皇神の道我は開けり」などと詠み、また三六〇〇首の語呂合わせ歌からなる「記憶便法エス和作歌辞典」を自ら著している。大正一四(一九二五)年には海外宣教のためのパンフレットがエス語で作られ、世界各国のエスペラント雑誌に日本の新精神運動 ―― 大本教に関する記事が掲載された。普及会の機関誌「緑の世界」も定期刊行されるようになった。さらに、同年京都で開かれた日本エスペラント大会で、王仁三郎は自己の「入蒙」体験を元に「蒙古人とエスペラント」と題する講演をし話題となった。”

 

      (広瀬浩二郎「人間解放の福祉論 出口王仁三郎と近代日本」解放出版社より)