祟り神としてのスサノオ | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・祟り神としてのスサノオ 

 “つまり日本人にはアマテラス的側面とスサノオ的側面がある。別の言い方をするなら、アマテラスとスサノヲが日本人の自我を通してこの世のものになりたがっているということである。最も普段は前者の方が表に出ていて、後者はもっぱら隠れたまま機能しているのだが。
 しかしスサノヲ(とその末裔)は、ときとしてたたり神になって表舞台に顕れてくるのが特徴であった。どういう場合にそうなるのかというと、ここで先の第一点との関係が出てくる。変容を促すスサノヲの機能が働いた状況を思い出してみたらよい。それは、アマテラスに非常な誇大さ、ないしは自我肥大(インフレーション)が生じている場合ではなかったか。
 垂仁紀の皇子ホムチワケにまつわる物語なども、やはりそうであった。彼は出雲の大神(オホクニヌシ)に祟られていたが、天皇の宮殿と同じ規模の社を造営することによってその怒りは鎮まったのである。神話の中では、ここでバランスの崩れが是正された。また国譲りに関しても、『日本書紀』の「一書(あるふみ)」には、やはり出雲の大神に同じ規模の社を造営してようやく平和裡にことが実現された、と伝えるものがある。
 スサノヲは高天原、中つ国、根の国の三界を往還する神だけあって、これらを相互につなぐ存在である。顕界の罪やけがれを幽界へと運び去り、また顕界が肥大すれば、闇の力を解き放つ。北欧神話では、世界の終末に勃発する戦いをラグナレク(力の滅亡)という。神々も世界もことごとく水中に没するが、わずかに残された生命から世界は再生していく。スサノヲもこれと同じように、すべてをいったん原点へ、ふりだしへと戻す力なのである。” 

       (老松克博「スサノオ神話でよむ日本人」講談社選書メチエより)