暗闇(くらやみ)の聖人 〔マザー・テレサ〕 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・暗闇(くらやみ)の聖人  〔マザー・テレサ〕

 

 「私がもし聖人になるなら、それは『暗闇の聖人』でしょう」、マザー・テレサは生前、手紙の中にそう書き記した。暗闇の中に生きた自分は、暗闇の中に生きる人々の為に働く聖人になるだろうというのだ。マザーが生きた暗闇、それは一体どのようなものだったのだろう。

 

(喪失ゆえの苦しみ)

 この暗闇を、マザーは「喪失ゆえの苦しみ」と呼んでいる。この闇は、イエスを失ったことによる苦しみだというのだ。

 マザーが1946年9月10日、ダージリンへ向かう列車の中でイエスと出会った話は有名だが、その体験以来マザーの傍らにはいつもイエスがいたようだ。「すべての祈りとミサのあいだ、イエスがわたしに語りかける」とさえマザーは書き残している。寄り添うイエスに励まされ、手を引かれるまま、マザーはスラム街へと出て行き「神の愛の宣教者会」を設立した。ところがそのイエスが、ある日突然マザーの前から姿を消してしまったらしい。1950年ごろのことだ。

 そのころ指導司祭にあてた手紙の中に「私の心は苦しみでいっぱいです。この苦しみは、喪失ゆえの、あこがれゆえの苦しみです」とマザーは記している。この苦しみは、イエスを失い、その愛にあこがれることによる苦しみだというのだ。

 

(イエスの聖心を信じて)

 どれほど呼び求めても、イエスが戻ってくることはなかった。冷たい闇の中に取り残されたマザーは、ただ「盲目的な信仰」だけを頼りに進んでいくことになる。このときの心境をマザーは「わたしはもう『イエスの聖心よ、あなたを信じます』としか祈ることができません」と記している。イエスの愛を実感することができなくなった今、マザーは、イエスの聖心にあふれているはずの愛をひたすら信じて進むしかなかったのだ。

 

(闇を愛する)

 変化が訪れたのは1961年のことだ。ある黙想会の後、指導司祭にあてて書いた手紙の中でマザーは次のように語っている。

 「この十一年で初めて、わたしは闇を愛することができるようになりました。なぜなら、今のわたしは、この闇が地上でイエスが味わった闇の小さな一部でしかないと信じているからです。」

 苦しみは残り続けたが、深い祈りの中でマザーはその苦しみをイエスが十字架上で味わった闇の一部と感じられるようになったらしい。イエスは、十字架上で神のために自分の命さえ捨てようという時に神の存在を見失い「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んだ。この神の喪失の苦しみをイエスと共に担う使命を神から与えられた、とマザーは受け止めたのだ。その時以来、苦しみはマザーとイエスを結びつける絆としてそれ自体が恵みの源となった。

 闇の苦しみを味わい尽くしたマザーは、神の愛を感じられずに苦しむ人々に心から共感し、彼らのために働く「暗闇の聖人」になることを希望した。マザーは今日も苦しむ人々の傍らにいて、彼らに微笑みかけているに違いない。(片柳弘史神父 イエズス会)

 

              (「カトリック新聞」2010年8月1日号より)