性の乱れへの警告 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・性の乱れへの警告

 “昭和二、三年頃大祭の後で教主殿に集まって五、六人のものが聖師さまを中心に話をしました。段々下がってエロ談が出て来た。六十を過ぎた人が「近頃便利なものが出来て家内も喜んでおります。真空管が出来てそれを使うと何時でも男根が勃起します」と話していると、聖師は突然満面朱をそそいで立腹され、「なにー。大本信者がそんなものを使っているのか。悪魔がそんな機械を使って神の子を亡滅する手段であることを知らないか。自然の要求による性欲でなく、人為的男女関係より有害なものは衛生上ないのじゃ。今後再三使うならたちどころに死ぬで」と叱咤されました。(上村清彦氏拝聴)”

 

          (木庭次守編「新月のかけ」より)

 

 

・ルドルフ・シュタイナーの警告

 「意識的に抵抗しなければ、将来人類は有害な性本能に取り込まれてしまうだろう」

 “……人類の進化の内部で起こることに関して、「性生活と性の本質の中から本能が、明るい目覚めた意識の中で人類にとって有益な方法で生じるのではなく、むしろ有害で破壊的な方法で現れることになるだろう」と、言い表すことができるのです。本能は単に混乱を引き起こすだけではなく、社会生活の中にまで移行し、社会生活の内部で形をとるまでになるでしょう。性生活を通して血の中に現われてくるものによって、人間は他の何にもまして強い影響を受けます。そして、人類は地球に何らかの友愛の精神を展開する代わりに、友愛の精神を絶えず強く拒絶するようになるでしょう。私がここで言う本能とは、このようなものになるでしょう。

 というわけで、将来、人類にとって決定的な時点がやってくることになります。このとき人類は例えば右に進むことができますが、そのためには目覚めていなくてはなりません。眠ったままだと、人類は左へ進むことになります。その場合には、本能が出現します。この本能は、実に恐るべきものとなるでしょう。このような本能が現れたとき、自然科学の学者たちは何と言うでしょうか。彼らは、「それは自然の必然だ。それは出現するしかなかった。それは人類の進化の中に組み込まれているのだ」と、言うでしょう。

 自然科学を通して、このような事柄に注意を向けることは不可能です。というのも、自然科学の思考方法に従えば、人間が天使になろうと、悪魔になろうと、どちらも説明可能になってしまうからです。どちらの場合に関しても、自然科学は、「先行するものの中から、後に続くものが生じた」という同じ説明をするしかありません。これが因果律的に自然を説明するという、大いなる知恵が生み出す結論なのです。自然科学は、私が皆さんにお話しした出来事に関しては、まったく注意を払いません。性本能によって人類が半分悪魔になるとしても、自然科学は当然のことのように、それを自然の必然と見做すことでしょう。”

 

 “……人間は、道を踏み外した性本能を追求することに快感を覚えます。人間は、このような性本能の逸脱を、超人間的で、偏見にとらわれない、無邪気な心が特別高度に発達したものとして、賛美することでしょう。ある意味において、醜いものが美しいとされ、美しいものが醜いものとされるのです。そして、人間はこのような事態について何も気がつきません。なぜなら、人間はすべてを自然の必然と見做すからです。しかし、それでは、人類は人間自身の本質に命じられた道から逸脱することになってしまいます。”

 

           (ルドルフ・シュタイナー「天使と人間」イザラ書房より)