社会救済の必要性 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・社会救済の必要性

 

 “出口聖師は「宗教の害毒」と題する一文の中で、社会救済の必要性を強調して、

 

 「疾病、罪悪は実在にあらず、疾病なきが常態なり、光明の欠乏したる部分を称してこれを疾病と称すべきのみ、罪悪もまたこれに同じ。疾病の根治は健全社会の建設と同時に出現すべき自然の現象のみ、疾病と罪悪とは社会の陰影なり。社会病みて人病み、社会罪悪に陥りて人罪悪を犯す。社会組織は本源にして、各個の疾病罪悪はその影なり。結果なり。社会組織をあらためずして各個より疾病罪悪を去らんと欲するものは、すなわち墨汁中において墨痕を洗い去らんとなすにひとし。洗うことますます努むるにしたがって、その黒さを増すこといよいよはなはだしかるべきなり。これを現代滑稽画の随一なるものとす。」

 

と書かれている。これは大正七年に記されたものであり、当時の宗教界が、個人救済にのみ熱を入れていたことに対し、警告された一節である。”

 

     (「おほもと」昭和35年9月号 花園繁『社会救済の必要性』より)

 

 

・「カルマ」について  〔ポール・ブラントン〕

 「社会全体の幸福なくして、個人の幸福はありえない」

 

 “秘教的なカルマの解釈は次のことを認めている。完全に孤立した個人というものは単に我々の想像の作りごとにすぎない。各人の生活は、地方的、国家的、大陸的、そしてついには地球的規模へと常に広がっていく円によって、全人類の生活と絡み合っている。各々の思考は、世界に広く行き渡っている精神的雰囲気によって影響される。また、各々の行為は無意識のうちに、人類の一般的活動によって与えられる支配的かつ強力な示唆の協力で成し遂げられる。”

 

 “我々の各々が考え、行うことの結果は、支流のように社会というより大きな川に流れ込み、そこで他の無数の源からの水と混ざり合う。”

 

 “かくして我々は、自分自身の幸福と社会の幸福を切り離すことはできない。我々は、内面的孤立を免れ、我われの利害を〈全生命〉のそれに合致させなければならない。階級間、国家間、人種間の敵意は無用であり、大小様々な集団間の憎悪や争いは無用である。すべては究極的には相互依存しているのだから。”

 

 

 「世界の不幸は、我々の悪事の結果であるだけでなく、我々が行うべき善を行わなかった結果である」

 

 “この相互依存的な時代には正しい側を積極的に助けるというはっきりした義務がある。世界の不幸は大部分カルマのせいである。が、この言葉はより広い解釈を必要とする。我々の多くは善良で純真かもしれないが、しかし我々は、自分たちがしてきたことのためでなく、しないで放ってきたことのために、他のすべての人々と共に苦しまなければならない。今日、悲しみは誰一人見逃さない。なぜなら、人類は完全に相互依存しているからである。他の人々を悲嘆や無知のままに留めておくことは、我々自身を危険にさらす・・・これは我々が学ばなければならない教訓である。我々は一体なのである。”

 

        (ポール・ブラントン「新カルマ論」コスモス・ライブラリーより)

 *ポール・ブラントン……聖者ラマナ・マハリシのイギリス人の弟子。ジャーナリストであったが、1920年代にインドに渡ってマハリシの弟子となり、彼の導きによってブラフマンの境地を達成する。

 

 

・天使が私たちに語っていること (シュタイナー人智学)

 「誰であろうと、他人の誰かがこの世で不幸である限り、幸せにはなれない」

 

 “それでシュタイナーは、意志とは覚醒期における眠りである、と言っているのですが、その意志を霊界の方に向かって開くことができたときに、天使との出会いが可能になる、とシュタイナーは体験したのです。

 ちょっと話が前後してしまいましたが、そういう体験を元にして、さっきちょっと言いかけましたように、彼(フランツ・ブレンターノ)は三つの大事な事柄を天使から学ぶのです。その第一というのは、天使はあらゆる人間の無意識に、眠りの中で働きかけているので、あらゆる人間も無意識の中では天使の語らいをみんな聞いている。そしてどんな人間も、他人の誰かがこの世で不幸である限りは幸せになれない、という事実を天使は人間の無意識に語っている、という体験なのです。もちろん日常生活の中のわたしたちはそうは考えていません。周囲に不幸な人がいても十分幸せに生活することはできる、と考えています。けれども、毎晩毎晩天使との語らいの中で、天使は人間の無意識に向かってそのことを告げている、というのです。ですからどんな人間も、今いった天使の語る事実を、心のどこかの片隅では、真実だと認めている、というのです。

 それから第二に、天使は一人一人の無意識の中に語りかけて、今お前が周囲の人間たちと出会っている出会い方は、非常に浅薄で、いい加減なものだから、もっと徹底的な他人とのつき合いをしなければまともではない、と語っているというのです。もっと根本的にまったく違った仕方で周囲の他人に対して、本質的な好奇心と関心とを持たなかったら、人間ではない、と語りかけているというのです。そして本当の人と人との出会いが可能であったときには、その出会いの中で、本当の神礼拝、本当の宗教儀式がそこにも成立する、と天使は語っているというのです。なぜならば、どんな人間の中にも神の働きがあるはずだから、もし人間関係が本質的に深まっていけば、必ず相手の神性と自分の神性との出会いが始まるはずで、それこそ一番基本的な宗教的な出会いの行為だ、というのが天使が人間に毎晩語りかけている二番目の重要なお告げだ、というのです。

 それから三番目に、この世の現実は決して本当の現実ではなく、周囲の外なる世界の表面にもヴェールがかかっているし、心の内部の表面もヴェールで覆われているので、本当にお前が認識行為を行おうとするなら、外の世界に対しても内の世界に対しても、そのヴェールを取り除かなければならない。お前の中にはそのヴェールを取り除くことのできる力が内在しているのだからこそ、その力をできるだけ働かせなければいけない、と語っているというのです。今言いました三つのことを、シュタイナーは天使、つまり個人の守護霊が一人一人の人間に対して語っている三つの基本的な要請だと言っています。”

 

(高橋巌氏講演録「千年紀末の現在とシュタイナー神秘学」関西ルドルフ・シュタイナー研究会出版部より)