肉体のあるうちに読んでおけよ | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 “私事になりますが、聖師様にお会いしたのは新婚旅行の聖地参りの時で昭和二十二年の六月ごろでした。麦秋というのでしょうか、麦畑のそよぐ中を、夫と連れ立ちてゆき、森良仁さんのおとりはからいで聖師様にお会いして、

 「ようきた」

 とおっしゃった時は、二十才の心でわけもなく涙がこぼれました。その大きなお声は今も私のおなかの中に入っているようにおぼえております。

 あくる年、聖師様は一月十九日昇天なさいました。その時、夫はたたみに額をつけて泣きました。私も始めてお会いした聖師様に二度とお目にはかかれませんでした。でも霊界物語には聖師様の地と肉が込められていて、永遠に生き続けられていられる事の重大さを思わねばなりません。

 手をとるように、或る時は俗界の言葉をも連ね、最奥に到る美と慈しみの世界を残されていますご神書です。逆境にある時は胸にこたえてひびき、また倖せの時は有難さに頭下がり、よませていただけます。

 ここに力と云う字があります。この字は聖師様のことたまの解釈によりますと『血と身』となり、血は霊ですからすなわち心と身体によって始めて力が出るという事を読み、びっくりして何時までも心に残っています。物語を世界の言語学者が正しい心をもって関心を持ち始めたら、どんな大きな事柄がかくされているかも分かりません。

 芸術は宗教の母、とも示されるように、神わざといわれるような美の極致と云うものは点か線のようなもので、そんな何人の心をもゆすぶる、きわまれるものが神様のお姿の一部であるのかなあとこの頃思っています。

 私共の先代谷前貞義は、大阪で鉄工所を営んでおりましたが、聖師様が『火の雨が降るから綾部へ移住せよ』とおっしゃり、大正時代に綾部に移り住みました。そして前の戦争で焼夷弾が雨のように降り、大阪の松島区はあとかたもなくなったということです。そして姑になる母は、山住みの年老いたおばあさんとなり、モンペ姿で私を綾部に迎えて下さいました。

 その母は三味線を弾いてよく物語を語られたと聞きます。そして数年して昇天されましたが、臨終の言葉は「こんどは国へかえりますで」といわれ、安らかな、すずやかな往生でありました。

 きっと聖師様や夫貞義の待っていられる天国をふるさととしておられたのだと思います。神様を一途に信仰した人の自信に満ちた死を見ました。

 無駄な言葉を出来るだけ捨て簡潔な写生をする事によって心を伝える短歌のきびしさ、謡のいいがたい味わい、心打つ絵の美しさ、まろやかなやきものの手ざわり、贅沢でない茶の持つ味わい深い心、地上天国建設の大本の神様に帰依した私共は、大きな使命の一端を少しでもになわせていただかねばと思います。

 そして、本気で霊界物語を拝読させていただかねばと思っています。私は先ほど用があって綾部の家にいってきましたが、聖師様にお仕えしていた姉の話によりますと「物語は無心でよんだ方がよい」「肉体のある間に読んでおけよ」とおっしゃったということです。”

 

         (「おほもと」昭和51年3月号 谷前国子『霊界物語に学ぶ』より)

 

 

・ある道院・紅卍字会関係者の霊が語ったこと

 「修行は生きている間にしなければならない」

 

 “この人が死んだのですね。あたりが真っ暗になってしまってどこへ行ったらいいのかわからないのです。道が無いのです。その中に風が吹いてきて痛いんですね。陽に照らされると光が恐い。風と光が一番恐いのです。心霊は何処に行っていいかわからないので家へ帰ってみたのです。お母さんが泣いている。お母さんの所へ行こうと思うと入れないのです。陰と陽が隔たれて入れないのです。手が届かないのです。そういうことなのです。これはその人が老祖様の許しを得て壇に出て話した記録です。自分がどこにいるか分からない。非常に苦しんで恐怖にかられた時にフッと考えた。紅卍字会というものがあったな、あそこに行って至聖先天……後を忘れてしまった。何とか思い出したときに済仏様が現われ、すぐ手を差し伸べて連れて行って下さった。どこへ連れて行かれたか、洞穴へ連れて行って静坐をさせられた。我々が在世中求修して静坐が足りないと、死後、洞穴に行ってまた静坐をしなければいけないのです。この場合の静坐は、私たちが肉体を持っている間は一年か二年で相当の成果をあげるような練習ができますが、霊になると、分火導水の身体がないでしょう。火を分けて水を導く、肉体があればこそ、非常に早く気がまわるのです。肉体を失うと気がまわらないのです。それでたいてい洞穴へ行くと三百年くらい静坐しなければならない。勿論、現界の三百年は随分長いけれど、霊界の三百年はそんなに長くありません。洞穴に行って静坐をし、まずちらばった霊をかき集めて、少し形ができるようにする、霊界に行くとこういう記録はたくさんあります。”

 

         (游篤慧講述「道慈のお話」東京多摩主院事務局)