「新しい聖典」による救世主再臨の成就 〔スウェーデンボルグ〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・「啓示された新教会の教義が印刷され、出版されることによって、主の再臨が成立する。」

 

(真のキリスト教768より)

 「この主の到来とは、〈主が新天地の創造をまえにして、見える天と人類が住む地を、滅ぼす為に来られる〉というような意味ではありません。」

 

(真のキリスト教779より)

 「この再臨は、主が個人的に、御自身を啓示された人を通して、行われる。主はかれを、おんみずからの霊で満たされるが、それは主御自身に由来する〈みことば〉をとおして、新教会の教義を教えられるためである。」

 「ということは、その教会の教義を理性でもって受けとめるだけでなく、その教義を印刷出版できる人をとおして、それを実行なさったわけです。主は、ご自分のしもべであるわたしの眼前に、ご自分を示し、わたしをこの職務につかせられました。そのあと、わたしの霊の眼をひらかれ、わたしを霊界に連れていかれました。そして、天界や地獄を見せて下さり、それでわたしは、天使たちや霊たちと話すことができました。それがもう何年も続いていることを、真理として証言します。しかも、その招命の日以来、その教会の教義に関しては、どんなことでも、天使からではなく、主おひとりから、わたしが〈みことば〉を読んでいる時、教えられました。」

 

(天界の秘儀9807:4より)

 「主の到来とは、教会の末期になって、神の真理が啓示されることをいいます。」

 

(黙示録解36より)

 「『代の終わり』とは、……教会の最後のことです。そのときの主の再臨とは、主ご自身の啓示のことであり、これは〈みことば〉の内的意味をとおして行われます。主は〈みことば〉以外のところで、ご自身を啓示なさいません。そして内的意味を通してなさる以外の方法は、おとりになりません。」

 

・「著作の中で、再臨の主は、その神人性において現存される。それは神の真理であり、教義そのものである 」

 

(新教会への招き44より)

 「主はわたしをとおして、〈みことば〉の霊的意味を開かれました。これは〈みことば〉がイスラエルの子らの中で記されたとき以来、初めて啓示されたものです。そしてこの霊的意味は、〈みことば〉の至聖所です。主ご自身が、その神性をともなって、この霊的意味の中に臨在しておられ、またその人間性をともなって、自然的意味の中に臨在しておられます。」

 

(黙示録解724:1より)

 「『彼女は男の子を生んだ』。いわゆる新エルサレムである新教会のため、与えられた真理の教義のことです。……『男の子』は教会の教義を意味します。なぜなら〈みことば〉で『息子』というと真理を意味するからです。そして教会の教義は、その全体像の中での真理なのです。」

 

 

 (「著作の自己証言 スエデンボルクの神学的著作からの抜粋引用集」アルカナ出版より)