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    染め上がったばかりの手拭いです。

    これは伝統的な手拭いの柄「豆しぼり」。

    もちろん、豆しぼりだけではありません。手拭いは染め上がったばかりの時はみんなこういう長~い状態なんです。

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    晒(さらし)などの一般的な綿生地は一反が約10m前後。

    手拭いを染める時には、この10m程の生地を10等分もしくは11等分に屏風状に折り畳みます。

    そこへ柄通りに染料が染み込むように細工をした上で、1枚目から10枚目あるいは11枚目まで一気に染料を撃ち抜くように染めるのです。

    そうです。

    注染(ちゅうせん)という技法です。

    ですから、10等分に折り畳んで染めれば「約1mの手拭いが10本」一遍に出来、11等分ならば「90cm強の手拭いが11本」一気に染め上がることになりますね。

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    これを両端の折り筋の通りにカットして、一本の手拭いが生まれるのです。

    みなさんのお手持ちの手拭いも、産まれたては「10人兄弟か11人兄弟」だったんです。

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    台風一過の晴天は、日本列島に猛烈な暑さをもたらしております。

    東京都心も午前9時16分には今年最速で30℃を超え、真夏日を記録。

    こうまで暑いと「麻もの」が恋しくなります。

    材料となる麻が高騰する中、比較的手に入れ易い「本場小千谷ちぢみ」です。

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   「小千谷ちぢみ」は天然の苧麻から採った細い繊維だけを使い、そのよこ糸には強い撚りをかけて織り、その後に「湯もみ」をして、撚りを戻すことで「しぼ」を立たせた麻織物です。

    そうです。

    原理は「ちりめん」と一緒です。

    それまで小千谷には無かったちぢみ織りの技術は、江戸前期の寛文年間に播磨国明石の浪士によって「明石ちぢみ」の技法が伝えられたことに始まります。

    ちりめんの織り技法は当初、大阪・堺に上陸したと伝えられていますから、堺からほど近い明石の浪士が伝えたという話もうなづけます。

    これ以後、越後で産するちぢみ織りは人気を博し、絹ものでは十日町の「明石ちぢみ」、麻ものでは「小千谷ちぢみ」が生産を増やしていきました。

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    麻のサラっとした感触に加えて、しぼ立ちによって生地が肌にまとわりつかないこと、麻に熱を奪う効果があることが、夏物として好まれる所以です。

    色調も淡彩であり、精巧な絣柄が上品さを発揮する逸品です。

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    袖を通すと、手のひらがハッキリと見えるほどの透け具合は、空気が乾燥するとすぐに切れてしまう「細い麻糸」を越後の雪の湿度で守りながら、丹念に織り込んだ証し。

    この透け感こそが、小千谷ちぢみの誇りなのです。

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青木  玉 ・ 吉岡  幸雄  著  「きもの暮らし」  PHP研究所

    青木氏の祖父は 幸田露伴、母は随筆家の幸田文。東京女子大学を 卒業し、母・ 文と共にキモノに 寄り添った東京生まれの随筆家。

    一方 、吉岡氏は江戸時代 からの染め屋に生まれ、早稲田大学を卒業後家業に従事。「染司 よしおか」の五代目を継承する、京都生まれの染色家。

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    “日本は経済的には豊かになった。ところが、人間がこの地球上で生きていく、最も大切な「衣食住」に関心を払わなくなった。頭を使わなくなってきている。企業という大きな集団が、すべてを 既製品化してきたのである。日本という三日月形の細長い列島の自然や風土、その地方地方にある特性や 差異もまったく無視するかのように、そして日本人が培ってきた長い伝統もまた、消えていくものが多い 。」

    と吉岡氏が言えば・・・

    “きものを着ることを特別な人のすることではなく、洋服でするおしゃれと同じように考えるなら、着ることを楽しむ幅は随分拡がるだろうと思う。洋服のデザインは変化が激しくなかなか着続けることはできないが、自分の好みに合ったきものは長期間楽しめるし、時に世代を超えて着ることも可能である。」

    と幸田氏は語る。

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    着る人と作る人という立場も違えば、生まれも戦前と戦後、東京と京都。

    一見すると、考え方も相反するように見える二人が、共通している「キモノへの情熱」をテーマに全編対談形式で繰り広げる、シナリオのような本。

    キモノの素晴らしさを次代に受け継ぐために、今何をするべきなのかについて考えさせられる一冊です。


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    清の最盛期を誇った、清朝第六代皇帝・乾隆帝(けんりゅうてい)の御代は、長きに渡る中華文明の中でも、文化の面で著しい発展をとげた時代です。

    その時代の名宝たちが収蔵されるのが、故宮博物院。

    中でも選りすぐり185点が、東京・上野で本邦初公開。

  「台北  國立故宮博物院」展です。

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    7月7日までの期間限定展示「翠玉白菜」の公開も終わり、あの時のような喧騒はもうありません。

    書画が多い印象ですが、画の中でも「刺繍」や「織り」で描き出された掛軸は精緻で美しく思います。

    現在でも中国ものの刺繍は、多くの糸で“写真か?”のような画を描き出す「乱針(らんしん)」、それに「汕頭(すわとう)」「蘇州(そしゅう)」「相良(さがら)」が有名ですが・・・

    当時の軸は正に「乱針」技法そのものです。

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    そして最も興味深かったのは、美しい磁器の数々です。

    宮廷が食器に求めたもの、それは清潔感があり、食べ物の色が楽しめるように「白磁器」

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    その逆に、調度品は豪華絢爛に。

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 「絶大なる権力」を持つ皇帝の下で築き上げられた質実かつ絢爛な文化、そして品々。

    その政権下で人々はどのように暮らし、どのように死んで行ったのでしょうか。


    重い税に苦しみながら・・・


    当時のこと。皇帝の意に沿うような品物が作れなければ、殺された人も居たかもしれない。

    でも、だからこそ作り手も必死にモノ作りしたのかもしれない。

    そんな角度から「中国の名宝」を見てみるのも楽しいものでした。    

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    お江戸の中心・神田のビルの21Fで食べる中華料理です。

    そうです。ココは「銀座アスター御茶ノ水賓館」

    そして、今日も「焼きそば」です。

    ココでは焼きそばと言うと「あんかけ焼きそば」ですが 、いつもの通り揚げ麺ではなく「焼き麺」で頂きます。
 
    焼きそばを待つ間にはビールですね。

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    634ml入っているという「スカイツリー・ビール」なるものを注文。

    どんなビールが来ちゃうんでしょうか?

  「自然と胸が高鳴ります」よね・・・。



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    って。えっ?おいおい。普通の中ジョッキじゃない?

    そこにスカイツリーが描いてあって、634って書いてあって・・・

    これなら、泡をもう少し盛り上げて「東京ドーム・ビール」もアリかもしれません。

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    それでも「天空の城」のような快適な空間で頂く好物の焼きそばとビールは、天にも登るような心持ちにさせてくれる最高のご褒美。

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    また、お天気の良い日に参ります。

    それにしても、今日も美味しかったです。

    キモノで「焼きそば」と「ビール」



銀座アスター御茶ノ水賓館
東京都千代田区神田駿河台4-3  21F