アメリカはいかにして日本人の愛国心を潰したのか | あやちゃんのブログ

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アメリカはいかにして日本人の愛国心を潰したのか

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Rael Maitreya

 

Comment les Etats-Unis ont écrasé le patriotisme japonais - YouTube   11分 ビデオ フランス語文字

 

 

アメリカはいかにして日本人の愛国心を潰したのか

Nobby Raelian
動画訳:

あなたは日本の国歌を聴き、日本の国旗を見ています。

多くの日本人が、あなたと同じ状況になったら不快に感じることをご存知ですか?

彼らはビデオを見るのを止めるかもしれません!

なぜだか分かるでしょうか?

日本では、高校の校長が自殺しました。その理由は、卒業式で日の丸を掲げ、国歌を斉唱することを批判されたからです。

それは何故なのか?

なぜならば、
日本はまだアメリカの占領下にあるからです。

そして、その占領政策が実を結び始めているからです。

アメリカ人が戦後、日本人が占領軍に対して決して反乱を起こさないよう、日本人の愛国心をどのように潰そうとしたかを以下にご紹介します。

▼1. 検閲 

1945年8月30日、
連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)が日本上陸。報道検閲はSCAPが最初に講じた措置のひとつでした。

1945年9月10日、SCAPは表現の自由と報道に関するある指令を出しました。

「日本帝国政府は、新聞、ラジオ放送その他公共の平穏を害する出版手段による情報の流布を防止するため、必要な命令を発する。最高司令官は、これに
従わない出版物またはラジオ放送を停止するものとする」(SCAPIN16) 

この措置は直ちに実施されました。
1945年9月、朝日新聞は48時間の発禁処分を受けました。

朝日新聞は占領軍を不愉快にさせる記事を掲載したのです。
例えば、1945年9月15日、朝日新聞は日本の代議士による原爆使用を批判する発言を掲載しました。

以下は鳩山威一郎の発言の抜粋です。

正義は力なりを標ぼうする米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう。

極力米人をして罹災地の惨状を視察せしめ、彼ら自身自らの行為に対する報償の念と復興の責任とを自覚せしめること、日本の独力だけでは断じて復興の見通しのつかぬ事実を率直に披瀝し、(中略)あくまで彼をして日本復興に積極的協力を行わしむる如く力を致さねばならぬ。
朝日新聞、1945年9月15日


この批判により、朝日新聞は発禁処分となりました。SCAPは、朝日新聞が占領軍兵士による窃盗や強姦の記事を掲載することを快く思っていませんでした。

多くの女性がレイプされていたからです。
日本政府は、日本人女性を守るために占領軍兵士に売春婦を提供していたにもかかわらずです。(写真:売春宿)(2'48")

占領が始まって
最初の1週間で、神奈川県は1,336件のレイプを記録しました。

何万人もの赤ちゃんが父親のいない状態になりました。彼らはGIベイビー(占領軍兵士と日本人女性との間に生まれた赤ちゃん)と呼ばれています。
GIベイビーは2万人とも3万人とも言われています。

占領軍は自分たちの犯罪を糾弾するメディアを黙らせようとしました。
朝日新聞が発禁処分を受けたのはその一例です。
日本のマスコミは、アメリカに対する批判を避けなければならなかったのです。

▼2. 洗脳

アメリカは、太平洋戦争に対する
罪悪感を日本人に植え付けるためのプロパガンダ作戦を開始しました。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは、日本人の心を操作するSCAPの計画でした。

このプログラムは、
戦争を始めた日本の指導者たちと日本国民との間にくさびを打ち込むことを目的としていました。
戦争中、このような対立は実際には存在しませんでした。


それまでは、日本人の敵はアメリカ人でした。しかし、このプログラムのおかげで、日本人の敵は「戦争を始めた日本人」になったのです。

このプログラムのおかげで、「戦争犯罪人」であった軍の指導者たちは、アメリカの絨毯爆撃や原爆投下によって引き起こされた日本人の苦しみの責任を負うことになったのです。

この洗脳プログラムを実行するため、占領軍は以下を使用しました:
1. 新聞
2. ラジオ放送
3. 日本映画
4. 学校

1945年12月8日から17日まで、
日本の新聞各紙は『太平洋戦争史』と題する記事を毎日掲載しました。

『太平洋戦争史』は、1943年にアメリカ国務省が書いたプロパガンダ本『平和と戦争/アメリカの外交政策』(Peace and War: United States Foreign Policy 1931-1941)に基づくものです。

本書によれば、第二次世界大戦は、日独伊の全体主義に対する米英の民主主義の戦争であり、悪に対する正義の戦争だったとされています。

この本に触発されて、『太平洋戦争史』は日本軍の蛮行を強調しましたが、それは、南京大虐殺、マニラ大虐殺など、戦争中に日本人が非常に不道徳であったという罪悪感を抱かせるためでした。

勝者によって書かれたこの物語は、『真相はかうだ』(真相はこうだ)というラジオ番組でシリーズ化されました。

『真相はかうだ』は、1945年12月9日から1946年2月まで、毎週日曜日午後8時から8時30分まで、公共ラジオチャンネルのNHK第一放送1とNHK第二放送で放送されました。

このシリーズの台本は、(日本国民への情報提供と教育を担当する)GHQ内部部局の民間情報教育局によって書かれました。

リスナーたちは、この番組がプロパガンダであることに気づいていませんでした。彼らはその内容に抗議しました。そこでアメリカ側は、こうした抗議を利用して番組をより効果的なものにしたのです。

彼らは別のシリーズとして、『
質問箱』という質問と回答を行う番組を作りました。

また、日本人の価値観を示すようなエピソードも挿入され、より聞き心地の良い話になっていました。

1948年まで続いた『質問箱』(写真:広告)(5'44")

これらの番組では、日本人に太平洋戦争を戦ったことへの罪悪感を抱かせるために、
真実と嘘が混ぜ合わされていました

以下は『質問箱』からの抜粋で、ナレーターが「南京大虐殺」について語っています。

…日本軍は南京を攻撃して復讐を果たそうとしました。南京大虐殺は、近代史上稀に見る残酷なものでした。約2万人の女性と子供が残酷に殺害されました。数週間にわたり、南京の街は惨殺された人々の血で染まりました。街は切り刻まれた死体で覆われました。日本兵は正気を失っていました。彼らは民間人を手当たり次第に連れ去り、虐殺したのです。彼らは盗みも働きました。彼らは、私があえてあなたに言うまでもない残虐行為を行ったのです…

ある写真家がラジオでこの番組を聴いていました。南京事件の現場に居合わせたカメラマンで、佐藤振壽という人物でした。

彼はこの番組が
南京事件について嘘をついていることに気づきました。後に彼はこう証言しています:
「私はたまたま『質問箱』を聴いていました。チャイコフスキーのテーマ曲の後、機関銃の音と住民の叫び声が聞こえてきました。ナレーターが「南京で大虐殺が行われました」と言うのです。私は周りの人たちに『それは嘘だ!』と言いました。」

このようなプロパガンダは、それを伝えるナレーターや俳優が日本人であればあるほど効果的でした。
日本人監督が人気俳優を使って作ったプロパガンダ映画もそうでした。


『わが青春に悔いなし』1946年


わが青春に悔なし(わがせいしゅんにくいなし)は、1946年に公開された日本のドラマ映画である。監督は黒澤明、主演は原節子。モノクロ、スタンダードサイズ、110分。GHQ占領下に民間情報教育局が民主主義啓蒙を目的に推奨したアイデア映画の一つである[1]。京大事件の滝川幸辰とゾルゲ事件の尾崎秀実を題材とし、ファシズムの時代に弾圧された教授と学生たちの師弟関係と、そんな時代に自我に目覚める女性の姿を描く[2]
『民衆の敵』1946年

『大曾根家の朝』1946年

『東京五人男』1946年

『長崎の鐘』1950年


戦後、何十本ものプロパガンダ映画が作られました
これらの映画は、戦争や日本の軍国主義だけでなく、旧体制を特徴づけるあらゆるもの(家父長制、財閥)を非難したのです。

▼3. 教育統制


戦後、教科書は黒塗りでいっぱいになりました。(写真:教科書)(7'28")

しかし、アメリカの占領軍にとって最も重要なことは、改革を担うことのできる教師を見つけることでした。

彼らには、ためらうことなくこう言う教師が必要だったのです。
「日本人は最悪の戦争犯罪人だ」
「私たちの邪悪な軍事指導者たちは、日本を恐ろしい侵略戦争へと導いた」
「我が国の指導者たちが、平和を望むアメリカ人の声に耳を傾けようとしなかったために、原爆が投下されたのだ」

「原爆は、何百万人もの日本人とアメリカ人を救うために投下された」
「私たちは過ちを悔やむべきだ。我々が戦争を始めた。我々は残虐行為を犯したのだ」

アメリカ占領軍が設置したコンテストは、改革に従えない教師たちを追放するために利用されました。


教職員組合が誕生したのは1947年でした。
この組合の目的は、「校長による統制のない議論の自由を確保し、表現の自由を実現し、教師の地位を保証し、給与を改革すること」とされていました。(アメリカの教育関係者による報告書より)

日本教職員組合
共同通信(写真:日教組全国集会の様子)(8:30)

この組織の目的は、実際には、教育分野におけるアメリカの占領政策の適用を監視することにありました。

彼らは、教師たちに日本人を過度に非難する歴史教科書を使うよう強く要求しました。
そして日本の国旗・国歌に猛反発したのです。

これです。

日本の国旗や国歌に反対する教師たちが存在しているのです。

1999年、広島県立世羅高校の校長が自殺しました。

彼は、卒業式で国旗を掲げ、国歌を斉唱する予定を立てていました。これはこの広島の高校で決定されたものだったのです。
しかし、教職員組合はこの決定を実行しようとした校長を強く批判しました。

教職員組合にとって、国旗掲揚や国歌斉唱は、軍国主義や日本による侵略の象徴であり、問題外だったのです。

この高校の校長は、自ら命を絶つ前に次のような言葉を紙に書き残していたそうです。「何が正しいのか判らない。管理能力がないことかもしれないが、自分の選ぶ道が何処にもない」
この出来事の後、政府は国旗国歌に関する法律を制定しました。

しかし、「子供たちに国歌を歌わせるのは良心の自由に反する!」として、それでも反対派は叫び続けました。

「学校での国旗掲揚はファシズムにつながる!」(写真)(9:40)

全部が異様だと思いませんか?
日本の子供たちは、年に一度くらいは日本人を感じる権利があるのではないでしょうか?
国歌を聞いたり国旗を見たりするために、サッカーのワールドカップやオリンピックを待たなければならないのでしょうか?

しかし、問題はここからです。

日本人の愛国心を弱めようとするアメリカの占領政策のせいで、戦後の世代はこの奇妙さに気づかないのです!

「国旗・国歌に反対する人の気持ちはわかる」と自分に言い聞かせる日本人はかなり多いです。
なぜなら、国歌を聴きながらこの国旗を見ると、彼らは不快に感じるからです。

彼らは罪悪感を感じるのです。
しかし、この説明のつかない罪悪感は、日本人の心にだけ芽生えたものではありません。

なぜ国旗や国歌に反対する人たちに理解があるのかと彼らに尋ねれば、こう答えるでしょう…。
彼らはこう答え...そしてSCAPは誇りに思うでしょう!
彼らは語ります:
「日本は戦争をしました。
戦争は悪いこと。私たちが悪かった。
私たちはその時、日の丸を掲げました。国歌は天皇を賛美するものです。私たちは天皇のために戦争をしました。これらのシンボルは私たちに暗い時代を呼び起こします。
私たちを怖がらせるものです。私たちにはもう必要ありません」

 

彼ら白人は野蛮人でした。 そして彼らは今でも野蛮人です---ラエル | ラエリアン・ムーブメント:"前の”アジア大陸代表のブログ (ameblo.jp)
 

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