本編 その三 | Anotherを愛する会

Anotherを愛する会

原作:綾辻行人『Anotherシリーズ』のファンサイト。
主に同人小説とSSを掲載しています。
現在はイラストの勉強中なのですが、鬱障害・睡眠障害・ADHDを患っている為、捗っていません。
将来は手描きMAD・フィギュア・MMDもマスター出来たらと夢を見ています(遠い目)

 渡辺の脹脛の傷は深く、夥しい量の血が流れ出ていた。しかし、非情にも管理人は追いかけてくる。追い付かれるのは最早時間の問題だった。

 「もういいよ、和江、松子……。私を置いて逃げて……。」

 渡辺は涙を浮かべながら、二人の友人に告げた。

 「珊の馬鹿!!!あなたを見捨てるなんて出来る訳ないじゃない!!!」

 佐藤は涙声で渡辺の肩に回す腕に力を籠めた。

 「でもこのままじゃ三人共殺される!!!私、お荷物なんて絶対に嫌!!!お願いだから二人共逃げて!!!」

 渡辺が叫んだ次の瞬間、佐藤は自分自身のポニーテールを鷲掴みにされ、後方に引き摺られた。後頭部に激痛が走る。佐藤を助ける為、有田が管理人に飛び掛ったものの、非力な彼女は殴り飛ばされ壁に頭を強打し、そのまま有田はぐったりと倒れ込んでしまった。

 「やめて……!お願い……!二人は見逃して……!」

 渡辺は床に這い蹲り、必死に友人達の命乞いをする。

 「痛いっ!!!やめてっ!!!許してぇ……!!!」

 佐藤も必死に抵抗をし、許しを請うものの、管理人は力を緩めず、無情にも冷徹な笑みを浮かべただけだった。雷光によって照らされて不気味な光を放つ血塗られた斧が振り上げられる。佐藤は余りの恐怖に失禁した。

「嫌っ……!!!嫌っ……!!!嫌ぁああああああ!!!」

「止めてぇええええええ!!!」

「和江ぇええええええ!!!」

 その場に居た三人の少女達の悲痛な絶叫が館内に響き渡った。

 しかし、斧が振り下ろされるその瞬間だった。こちらへと向かう駆け足が耳に届き、管理人は咄嗟に体勢を切り替える。斧は間一髪で空中を切り、恐怖の余り目を瞑っていた佐藤は、自身の身体が宙に浮かぶのを感じた。この時、管理人に力強く引っ張られた事で緩んだ佐藤のポニーテールを束ねていた髪ゴムが床に落下し、佐藤は髪を下ろした状態のロングヘアになった。

 「え……?」

 ゆっくりと目を開くと、そこに居たのは前島学だった。小柄な体格に似合わず力持ちの彼は、座ったままの状態で佐藤を軽々とお姫様抱っこの状態で抱えている。幼さの残るその顔立ちには、普段の彼からは想像出来ない精悍さがあり、そしてどこか憂いを帯びていた。よく見ると、片方の手に鉄パイプが握られている。恐怖の余り思考が完全に止まっていたが、徐々に落ち着きを取り戻す。彼は夜見北が誇る剣道部のエース。経緯は分からないが、襲われている自分達を助けに来てくれたのだ。

 「佐藤、大丈夫?」

 「前島くん……。」

 「来るのが遅れてごめんな。もう大丈夫だから。」

 前島は優しく穏やかな声で話しかけながら、佐藤をそのまま床に下ろし、即座に立ち上がって鉄パイプを構え直した。その先には、殺意を剥き出しに立ち上がろうとする管理人の姿があった。佐藤は数秒前までの恐怖を思い出し、小さな悲鳴を上げて再び震え出した。

 「皆逃げて!ここは俺が引き受けるから!」

 「前島くん……でも……!」

 「早く!!!」

 前島が大声を上げたその時、有田が頭を片手で押さえてふらつきながら佐藤の元へ駆け寄って来た。

 「行こう、和江。私達が居ると却って邪魔になる。それに今は珊の手当てが最優先だよ。このままじゃ……。」

 後方に目を向けると、渡辺は青褪めた表情でぐったりと倒れていた。素人目に見ても、一刻も早く応急処置を施さなければ大事に至るのは明白だった。即座に佐藤は決断した。有田と共に渡辺の肩に腕を回して、彼女を立ち上がらせた。

 「前島くん、必ず応援を呼ぶから!どうかそれまで無事でいて!」

 立ち去る瞬間、佐藤の目から涙が溢れた。

 「助けに来てくれて、ありがとう……。」

 そんな佐藤に対して前島は穏やかに微笑んだ。そして三人が立ち去るのを見届けた後、前島は憎悪と侮辱を込めた冷徹な眼差しを管理人に向けた。同時に親友達の最期が脳裏に蘇る。

 親友の一人は、自分が駆け付けた時には既に息絶えていた。直接見た訳ではないが、凄惨な遺体だったらしい。遺体さえ助けてあげられなかった。

 もう一人の親友は背中を深々と刺され、血塗れになって冷たい床に這い蹲っていた。一刻の猶予も許されない瀕死の状況。だけど、あいつは自らを助けようとする俺の手を止めた。そして虫の息でありながら、懸命に訴えた。

 「前島……俺の事はいい……。俺が、今、ここに居るのは、米村が俺を、庇ってくれたからだ……。俺はもう、十分だ……。もう、助かんねぇ……。」
 この時、川堀は痛くて苦しくて仕方ないはずなのに、僅かながら無理に微笑んで見せた。

 「諦めるなよ!!!お前らしくもない!!!」

 自分の必死な呼び掛けに対し、川堀は制止する様に腕に力を込めた。

 「それよりも管理人が、今も生徒達に襲い掛かっている……!皆が……有田達が危ねえんだっ……!!!」

 “有田”の名前が出ると、川堀の声が一際力強くなった。川堀は有田松子に想いを寄せている。この事実を知っているのは、恐らく前島以外では水野と米村だけだろう。よく見ると、川堀の傍には携帯電話が落ちている。有田から直接、緊急の連絡を受けたのだと、前島は瞬時に察した。

 「頼む、助けに行ってやってくれっ……!俺の最初で最後のお願いだっ……!このままだとあいつらまで殺されちまうんだぞっ……!?」

 熱い想いの宿った声に対し、川堀の背中から夥しい血が流れ、身体は見る見ると冷たくなっていく。残酷な現実を受け入れる事が出来ず、前島はボロボロと大粒の涙を流し嗚咽した。

 「場所は、別館の二階だ……。」

 川堀は再び僅かに微笑み、目に涙を滲ませる。

 「頼んだ、から……な……。」

 そう告げ終えると、川堀の意識は途切れ、手は前島の腕を離れ、力なく床に落ちて倒れこんだ。

 「川堀……?」

 首筋に手を伸ばすと、既に脈は無かった。川堀は死んでいた。その表情は苦しげでいながらも、どこか穏やかだった。

 死の淵に立たされても、二人は其々クラスメイト達の事を気遣っていた。一体あいつらが何をした?米村は冷静かつ謙虚に行動する平和主義者で、人の恨みを買う様な奴じゃない。川堀は人一倍義理堅い筋の通った奴で、大勢の人間達から慕われていた。二人共、こんな形で命を奪われていい様な人間じゃない。二人をあんな惨い目に遭わせたこの外道が憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。もうあいつらは二度と戻ってこない。俺があいつらの為に出来る事は、もうこれしかない。

 「よくもっ……よくも米村と川堀をぉおおおおおお!!!あいつらの仇ぃいいいいいい!!!」

 前島は怒号を上げ、管理人に襲い掛かった。

 

      ◆

 

 「メグっ!!!」

 王子は無我夢中で館内を走り回っていた。一つ一つの部屋をしっかりと確認する。多々良は携帯電話を持っていないので、これ以外に確認のしようがなかった。その後ろでは、相棒の猿田が追いかけている。結局、再び広間へと出た。

 王子は立ち止まり息を整える。最悪の展開が脳裏を過ぎるも、必死でそれを打ち消す。

 「メグ……。どこに居るの……?」

 「大丈夫ぞな!多々良さんは運動神経抜群で足も速いから、きっと無事ぞな!」

 猿田は懸命に笑顔で訴える。

 「猿田……ありがとう……。君がいてくれて、良かった……。」

 王子は親友の存在に心から感謝し、笑顔を向けた。

 その時だった。再び不吉な現象が起こった。食堂に放置されている米村の遺体のポケットから彼が愛用していたステレオとイヤホンが音を立てて床に落ちたのだ。その音が王子と猿田の耳へと届く。

 「……メグ!?そこに居るの!?」

 王子は満面の笑顔を浮かべながら咄嗟に食堂に駆け寄り、勢いよく扉を開けた。

 「マコくん?」

 ほぼ同時に多々良の声が響く。

 「え……。」

 振り返ると、血塗れの多々良が廊下に立っていた。その姿を確認すると同時に、開けた扉の向こうから猛烈な熱風が襲い掛かり、大きな爆発が起こった。バックドラフトだった。王子は爆風で吹き飛ばされた後、業火に包まれた。言葉では表現出来ない様な激痛が全身を襲う。そんな中、彼が一心に想っていたのは、最愛の恋人の事だけだった。

 ―――メグ……良かった、生きてたんだね……。

 王子は業火の向こうで立ち竦む多々良に向かって手を伸ばす。

 ―――こんなの、嘘だよね?

 多々良は生きながら業火に焼かれる王子に向かって手を伸ばす。

 ―――ごめんね、メグ……。僕はもう……。

 しばらくして炎は収まる。

 猿田は腰を抜かし、ガタガタと音を立てて震えていた。多々良はまるで幽霊の様にフラフラと王子の元へ駆け寄る。あの華やかで麗しい容貌の面影もない無残な姿だった。人肉の焦げる悪臭が鼻孔を突く。

 多々良は必死で自分に言い聞かせる。

 ―――これは夢だ。悪い夢だ。悪魔が見せる悪趣味な悪夢なんだ。

 「マコ……くん……。」

 無意識の内に伸ばした手が王子の頬に触れると、高熱による激痛とドロリとした不快な感触が掌に広がる。反射的に手を離し、目をやると、掌は火傷で真っ赤に腫れあがり、王子の頬の皮膚がベタリと貼り付いていた。全身が一気に震え出す。

 「メ……グ……。」

 王子はゆっくりと目を開き、多々良の目を見つめる。そして最後の力を振り絞って、想いを伝えた。それは掻き消される様なか細い声ながらも、はっきりと多々良に届いた。

 「愛し、て、る……。」

 そう告げると、王子は息を引き取った。堅く閉じたその瞼が開く事は二度と無かった。

 最初に失ったのは唯一無二の大親友だった。四六時中行動を共にする程、大の仲良し。誰よりも優しくて、真面目で、何事にも一生懸命なゆかりが大好きだった。私にとって彼女は愛くるしい天使だった。

 その次に失ったのは血より強く深い絆で繋がっていた幼馴染だった。物心付く前からずっと一緒で、彼が可愛くて仕方がなかった。父と祖父母の三人を失い、母が心身を病んでしまった後、私にとって真の意味で家族と呼べる存在は彼一人だけだった。自分の身体を疎かにしてまで、いつも私の事を心配してくれた。彼はどんな時でも私を気にかけて、励まして、傍にいてくれた。私にとって彼は騎士だった。

 そしてたった今失ったのは運命的な出会いを果たした恋人だった。初めて抱いた異性に対する特別な感情。恋の楽しさと切なさを教えてくれた人。彼が傍に居てくれるだけで、彼の笑顔を見ているだけで、彼の事を考えているだけで、幸せだった。それ以上は何も望んでいなかった。私にとって彼は名前通りの王子様だった。

 三人は私にとって誰よりも、何よりも、自分の命よりも大切な最愛の存在だった。彼らさえいれば私は幸せだった。彼らの存在が私の生きる理由だった。彼らの存在が世界の全てだった。間違いない、私は呪われている。大切な人達を死に引き込む存在だ。何て醜く、悍ましい存在なのだろう。死者と何ら代わりがない。ゆかりも、郁も、マコくんまでもが死んだ今、もう私に生きる理由はない。一刻も早くこの命を絶つべきだ。もしかしたらそれで災厄も止まるかもしれない。でもマコくんは私が死者ではないと懸命に訴えてくれた。でも私が死者でないとするなら、一体誰が死者なのだろう。

 その瞬間、多々良の頭の中で何かがプツンと切れる。とある少年の顔が思い浮かぶ。

 「あはは……。ははははははっ……!」

 「多々良、さん……?」

 「死者を死に返せ!!!死者を死に返せ!!!死者を死に返せ!!!死者を死に返せ!!!死者を死に返せ!!!死者を死に返せ!!!死者を死に返せぇええええええ!!!」

 発狂した少女の絶叫は館内に響き渡った。猿田は恐怖の余り動く事が出来なかった。

 

      ◆

 

 赤沢の呼び掛けによって起き上がった杉浦・小椋・水野・金木・松井・江藤・藤巻は階段付近で合流し、燃え盛る館からの脱出を試みていた。最後尾では辻井が柿沼をおんぶして追いかけている。

 「皆、急いで!!!煙は出来るだけ吸わない様に!!!」

 赤沢は皆を先導した。すると後方で走っていた金木は何かが床に落ちてきたのを確認した。不思議に思った金木は天井を見上げる。すると、一瞬だったが巨大な物体が頭上に落下してくるのが視界に入った。

 「亜紀ぃ!!!」

 金木は反射的に傍にいた松井を横方に力一杯突き飛ばした。次の瞬間、巨大な轟音が広間に響き渡る。

 前方を走っていた赤沢と水野は慌てて足を止めて振り返る。目前の光景に彼らは愕然とした。そこには先程まで天井で美しく光り輝いていた豪華で巨大なシャンデリアが佇んでいた。床には夥しい鮮血がじわじわと広がっていく。三人の生徒達が下敷きになったのだ。

 辻井はその場に力無く座り込んだ。ずるりと背中におぶっていた柿沼の遺体が床に落ちる。

 下敷きになった三人の一人・小椋は全身を打撲した痛みに耐えながら、ゆっくりと目を開いた。暫くは視界がぼやけてよく見えなかったが、焦点が合うと、目前にあったのは頭から大量の血を流した江藤だった。

 「ひぃ!!!嫌ぁああああああ!!!ごめんなさい!!!助けて、兄貴ぃいいいいいい!!!助けて、彩ぁあああああ!!!うわぁああああああん!!!」

 クラスメイトの凄惨な姿を目の当たりにし、小椋は完全にパニックに陥り泣け叫んだ。

 江藤も余りの激痛に耐え切れず、呻き声を上げている。傍らでは藤巻が江藤の手を握り、彼女に呼び掛けながら、大声で泣きじゃくっていた。

 間一髪で助かった金木と松井は、ガタガタと音を立てて震えていた。

 水野は目の前の地獄絵図に茫然とするしかなかった。全身から力が抜け、足がよろめく。すると、視界の隅に見覚えのある人間が床で横たわっているのが見えた。親友の一人・川堀健蔵だった。水野は川堀の遺体の前で立ち尽くした。

 「助けて……。助けて……。」

 赤沢は馴染み深い声にハッとする。シャンデリアの真下から馴染み深い人物の顔が現れた。くせ毛の茶髪・紫色の眼鏡・水色のパーカー……。親友の杉浦だった。

 「多佳子!!!」

 杉浦は全身血塗れで、赤沢に手を伸ばして助けを求めていた。自力でのシャンデリアからの脱出を試みるも、片足が完全に挟まっている為、使い物にならず、動く度に重く圧し掛かった硝子の破片が杉浦の全身に食い込む。彼女は既に虫の息だった。赤沢は咄嗟に駆け寄り、杉浦の手をそっと握り締める。彼女の手は驚く程冷たく、死の恐怖と絶望でガタガタと震えていた。赤沢と杉浦の目から大粒の涙が溢れ出る。

 赤沢は一年半前の悪夢を思い出す。従兄・赤沢和馬。幼い頃から兄妹同然に育った大切な存在。誰よりも大切な愛しい人。でも彼は、一年半前の自分の誕生日に事故に巻き込まれて死んでしまった。

 「私、死にたく、ない……。死にたく、ないよ……。」

 杉浦の声からは生気が失われていた。赤沢は何も出来ない自分に苛立ち、悔し涙を流す。

 「どうして……。どうして、現象は何もかも奪うの……?私達、何もしていないのにっ……。26年前の三年三組の人達だって、大切なクラスメイトを想っていただけなのにっ……。」

 赤沢は思い出す。和馬と死の間際に交わした言葉を。

 ―――ごめんな、泉美……。約束、守ってやれなくて……。

 「犠牲になった多くの人達は、本当は生きたかった人達なのにっ……。」

 ―――俺、まだ、死にたくない……。死にたくないよ……。

 「お願いだから、これ以上、私達の大切な人を奪わないで!!!お願いだから、誰か現象を止めてぇええええええ!!!」

 赤沢の悲痛な叫びは全館に響き渡った。

 

      ◆

 

 広間の二階には眼帯を外している鳴が居た。彼女は悲痛な表情で大広間の惨状を見つめている。その場にいる杉浦・王子・柿沼・川堀達には、<死の色>がはっきりと浮かんでいた。きっとこの場には居ない米村と中島にも同じ色が見えるのだろう。

 鳴はとある決意を口ずさむ。

 「……<死者>が死に返れば、もうこんな悲しい事は起きないはずよね?」

 

      ◆

<追記:2023年7月5日>

※追記・修正を行いました