1025(20)基礎
1045(15)カノン
1.夜が明けた
2.おきろおきろ
3.おはよう
1100(15)讃美歌ARA読み
160.よろこびの調べ
1115(10)休憩
1125(22)演奏会レパ
窓開き給え
1147(30)タモコン乱取り
9.ふるさとの想い
10.クリスマスの歌
11.祈り
12.わがジョニー
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ここChor Solfa!は、2005年に発足しまして、今年で16年目ってことになります。
ブログを書き始めたのが、2006年の7月なので、ブログを始めて15年ってことに。
実はワタクシ元締めのTACOはこの7月に還暦を迎えまして、てことは、私が44歳の時にこのSolfa!はスタートしたってことになるわけです。
まあ、44歳で始めた時には、60歳になった時のことなど、当然のことながら想像もつきませんが、でもよくもまぁ、16年も続いているなあという感じでしょうかね。
このSolfa!は、その名の如く、ソルファ、つまりドレミ、移動ドで楽譜を読んで合唱をするという、そこをある意味唯一守っている合唱団です。
その他に、それを基にした理念というか方針としてあるとすれば…
毎回の練習が本番みたいなもんで、いわゆる「本番」ありきの合唱団ではないこと。
下駄ばきで来れるような気楽さであること。
お金が掛からないこと。
入団や退団の縛りがないこと。
基本的には無伴奏、アカペラで練習をすることで、同族楽器たる声だけでの純粋なアンサンブルを楽しむこと。
また、全員がそれなりの譜読みが出来ることによって、パートによる人数バランスが悪い時は、人がパート間を行き来することで、出来る限りパートバランスを良くして、結果アンサンブルのバランスを良くして美しいハーモニーを楽しむこと。
つまりは、パートに縛られないこと。
或いは、もっと言うと、色んなパートを楽しむこと。
難しい曲よりも、簡素で美しい曲、そして出来るだけ世界中の曲に満遍なく触れ、何より沢山歌う事。
曲、楽譜に縛られるのではなく、その時集まったメンバーの都合で、可能な限り楽譜をいじって、それによって集まった人間が出来るだけ楽に、音楽を楽しめるようにすること。
その究極として、自分達に合ったオリジナルの編曲、作曲をすること。
世代の隔たりや偏りをなくすこと。
まだあるかもしれないけど、こんなとこかな。
実現したものもあれば、ま、途半ばというのもありますが、いずれにしても上記の理念というか方針自体は、16年間変わってなくて、むしろより確信的なものになってきたような気がしますね。
勿論、方法論そのもの、レパートリーそのものは、試行錯誤に繰り返しで、この16年間で改良された部分は沢山ある。
というより、私にとっては、Chor Solfa!は一種の実験工房みたいなところで、色々試させてもらってるわけです。
そういう意味では、恐らくこれからも方法論はまた変わっていくかもしれないし、そもそもそれも集まったメンバーによって、自ずと変わって当然のものでしょう。
つまりは主体は常に「人」にあって「楽譜」や「方法論、メソード」にはないということです。
昨年からのコロナ騒ぎで、合唱音楽はどこも大打撃を受けて、本番はことごとくなくなり、練習もまだ色んな不自由がある。
早く戻って欲しいと思うけど、実は、元通りに戻るのは、私の希望ではないです。
元に戻しいて欲しいのは、「練習」
その環境は、元に戻してほしい。
マスクなしで、ディスタンスとか、人数制限とかなしで。
兎に角、ごく当たり前に練習をさせて欲しい。
でも、正直それだけでいい。
つまり、本番は極論無くても良い。
少なくともこれまでみたいに、大掛かりな本番はもうそんなに要らないし、正直望まない。
もっと言うと、無い方が良い。
あっても町の発表会とか、学芸会レベルで良いんじゃないかなぁ。
今まで、そいういう大掛かりで、大袈裟で、やたら難しい曲、大人数、大編成、立派なホールの演奏会が多すぎたんじゃないかなぁ。
勿論、そういうことにはそういうことにしかない魅力はある。
だけど、やっぱちょっとバブルじゃなかったかなぁ。
猫も杓子もって感じがあったんじゃないかしら。
そしてそれこそが「合唱」ってことになってやしませんかね?
逆に少人数だと、如何にもトリッキーだったり、やたらと繊細だったり、完璧だったり学術的だったりする。
それもまあ魅力なんだけど、もっとフツーに楽しむことがまずもっと沢山あって良いんじゃないかなぁ。
コンクールとか、偉いプロの指揮者や演奏家と一緒のコンサートとか、良いけどさ、その前に自分達で楽しむことをもっと覚えた方が良いんじゃないかね。
ま、合唱の楽しみなんて人それぞれだから、大きなお節介なんですけどね。
でも、これまでの「合唱」がコンクールだったり立派なコンサートだったりがメインだった為に、無くしてきたものも大きいんじゃないかな。
その最たるものが、「楽譜を読んで音楽をする」それも「楽器に頼らず自分の音感で読む」つまりは「移動ド唱法」の欠落だと思うんですよね。
本が普通に読めるように、楽譜が読めても良いんじゃないですかね。
そっちの方が、世界が広がると思うんだけど。
それに、面白いしね。楽しいしね。
また、「移動ドで楽譜が読めるだけじゃダメだ、譜面が読めたその先が大事」って言う方もいて、確かに言わんとすることは分かるんだけど、でも、本当に移動ドで沢山読んでいると、ただ読むスピードが速くなるとかだけじゃなくて、譜面を読む、その深みみたいなものも深くなる、或いは音楽に対してより鋭敏な感覚になったりする実感は自分にも他人にも確かにある。
本だって数冊しか読まない人と、数千冊読んだ人では、読解力が桁外れに違うのと同じじゃないかなぁ。
また、昔の寺子屋じゃ、論語を繰り返し繰り返し読んだって話があるけど、そういう地味で地道な作業で、時間をかけて残ってきた滋養に満ちた作品を自分のものにしていくことこそ、本当に人を高める教育であり、つまりは自分を高める方法じゃないですかね。
何回も歌った曲でも、良い曲は次に歌うと必ずなんか発見があるもんね。
という具合に、ちょっとまとめてみたけど、結局、まあ、つまりは16年やってきて変わらんくて、60歳になったわけで、てことは、これからも多分変わらんね、これは。
悪しからず。
よろしければこれからもお付き合いの程。m(__)m
次の練習は、中練習室4、悲しいかな19名様限定です。
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【7月11日】
1025(20)基礎
1045(15)カノン
4.たのしい朝
5.朝のあいさつ
1100(15)讃美歌ARA読み
161.イマヌエルの君のみ
1115(10)休憩
1125(20)演奏会レパ
炎
窓開き給え
1145(30)タモコン乱取り
13.サンタルチア
14.むなしく老いぬ
15.夕べの歌
16.ばらの花咲き