1030(15)讃美歌ARA読み
 142.さかえの主イエスの
1045(21)カノン
 170.天には栄え
 171.父なる神を
 172.クリスマスのカノン
1106(19)休憩
1125(55)クリスマスキャロル
 03.いざ、祝え
 06.聖夜
 10.クリスマスの歌
 21.めざめよ牧人
 24.羊飼いよ、急ぎ行きて
 薔薇咲きいでぬ(カノン)
 御子の生もりし
 荒野のはてに
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滑り出しは少なかったものの、最終的に17名。

今年最後のクリスマス三昧。

おっと、讃美歌は違った。こちらは先取りの受難曲やった。

 

今、久しぶりにシンガーズアンリミッテッドのクリスマスを聴いてこのブログを書いているんだけど…

相変わらずステキなんだけど…

 

今年、こういうコロナ狂時代になって、こうした録音された楽曲全部の聴き方が変わってしまった。

これまで普通に聴いていたこうした録音音源が普通に聴けなくなってしまった。

とある本の中で、こういう録音された音楽を「録楽」と称して、生の「音楽」と区別していた。

コロナ狂で生の音楽が一時消えたことによって、こういう生の「音楽」と「録楽」がある意味クリアに区別された。

僕も確かにそれまでなんとなく曖昧だった録音音源と生との違いをはっきり区別するようになった。

多分それは生音楽への渇望みたいなものからだろうと思うけど。

 

なにも「録楽」が悪いわけではない。

クラシックだけでなく、僕が好きなプログレだってなんだって、録音でないと出来ないこと、録音だからこそできる音楽がある。

大大大好きなマイクオールドフィールドなんて、何千回もオーヴァーダビング(多重録音)で、あの名曲「チューブラベルズ」を作ったわけだし。

あんなのむしろ生では出来ん。

そうして、むしろ今まで、若い頃からレコードやCDで聴きまくっていたわけで、そういう「録楽」の方が、自分にとっても聴く音楽の中心だったのは間違いない。

そしてそのことによって、どれだけ音楽的影響や楽しみや、精神的恩恵を受けたか分からない。

同様に「録楽」ではないけど、このコロナ狂時代で流行りのリモートや、ライブ配信など、その場で生で聴ける音楽じゃないものも、決して悪いとは思わない。

 

だけど、今もそうだけど、今回のコロナ狂で、逆に生の音楽への異常な思い入れみたいなのが芽生えて、そのことでこれまでの自分の「録楽」偏重の人生への強烈な反省みたいなものが芽生えている。

 

当然、人類の歴史で「録音」が行われる前までは、音楽は全部「生」だった。

ベートーヴェン先生の時代には「録楽」は無かった。

ベートーヴェン先生の音楽が聴きたかったら、音楽会に聴きに行くか、自分(達)でベートーヴェン先生の曲を弾くしかない。

でも、少なくとも自分は、このコロナ狂になるまで、その事実を全く考えたことが無かった。

これって、我ながら驚くべき相当の手落ちじゃなかろうか。

 

再度云うけど、決して「録楽」が悪いわけではない。

商業的(資本主義的)にはむしろ「録楽」がないと音楽界は多分到底成立しないわけだし、芸術の発展の為、音楽の素晴らしさを広め、人々を幸福にする為にもどれだけ貢献しているか分からない。

今聞いているこのシンガーズアンリミッテッドだって、僕が若い頃にはレコードじゃないと聴けなかったのが、今は聴こうと思ったらスマホ一つで聴ける。

こんな素晴らしい音楽をそんなに簡単に聴けるってホント良い時代になったと思う。

 

だけど、なんやろう。この違和感は。

ただ「音楽は生に限る」とか、「生の方が良い」みたいなことを吠えたいわけじゃない。

ただ、明らかに、こんなに素晴らしいシンガーズアンリミッテッドでさえ、聴いていて、昔の様に感情移入出来ず、昔の様に感動出来ない自分が居るのは確かなんだよな。


それはちょっと自分としては、何か一つ大切な楽しみを失ったかなりなショックなことではある。

だけど、逆に、生音楽への指向性は、多分かなり強くなったような気がする。

 

「録楽」はほぼ「完璧」な音楽。どういう意味かというと、ミスがない、完全に作りこんである、そして何回聴いても同じに聴こえる。(勿論再生機械によっては変わるけど)

それに対して、生の「音楽」は、ミスがある、ミスが無くても全部が全部完璧に上手くいっているわけではない、そして、絶対に1回しか聴けない。どんなに素晴らしくても、全く同じように「再生」することは絶対できない。

そう意味では「録楽」に比べればかなり「不完全」な音楽よね。

特にアマチュアレベルではね。

 

で、思うに、現代の生の演奏って、どこか「録楽」に近づこうとしてるところがないかね。

或いは「録楽」をお手本にしようとしているというか。

そして、「録楽」に近づこう、お手本にしようとしてる限り、少なくともクラシック音楽にとっては、先は無いんじゃないかな、と思ってしまう。

いや、これ、一般論として世間を批判してるというよりむしろ、自分自身への自戒なんだけど。

 

音楽は時間芸術。

そこへもう一度思いを馳せる。

 

Solfa!でカノンや、讃美歌や、キャロルを歌う。

それは、どこかで誰かに聴かせる為の練習じゃない。

自分達でその「音楽」をやって聴いて楽しんでるだけ。

録音なんてしない。刹那的な享楽。

少なくとも、その時間は、確かに、誰の真似でもない、お手本があるわけでもない、聴いたことのない生の音楽を楽しんでるね。

こういうことの大切さみたいなものをしみじみ噛みしめてしまう。

 

さ、次回はこの2020年、コロナ狂時代真っ只中の最後の練習です。

「多目的混声合唱曲集」を持ってきてね。

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【12月27日】
1025(15)基礎
1040(20)カノン
 118.讃美歌
 119.手の体操
1100(15)讃美歌
 143.十字架を仰ぎて
1115(10)休憩
1115(60)多目的混声合唱曲集
 11.祈り
 12.わがジョニー
 13.サンタルチア
 14.むなしく老いぬ
 15.夕べの唄