1025(24)基礎
1049(08)カノン
 53.お祈りの言葉
 54.二匹の山羊
 55.うたえ、おどれ
1057(13)讃美歌ARA読み
 82.ひろしともひろし
1110(21)TacoschatzⅡ
 55.春が来た
 56.わが魂は待つ
1131(14)落花生集団暴投テロ(豆まきではありません)
1145(40)TacoschatzⅡ
 57.メリーさんのひつじ
 58.まことの恋
 59.祈り
 60.かわいいかくれんぼ
 61.みどりのそよ風
 65.黒田節
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まあ、ここまでくれば執念というか、引っ込みがつかなくなってるってしか言えんよな。

節分の豆まきは、2月3日です。

 

この日は男声が少なくて、例によって、女声3部+男声(ベース)

これ、曲によって向き不向きがあるね。

音域の問題やな。

だけど、これが可能な究極多目的編曲を考える必要があるな。

各パートの音域を制限した上で編曲をすれば、出来そうやな。

これは、一つの課題やな。

でも、こういうことを考えることが出来るというのは、幸せな事やと思います。

フツーは、それこそ、楽譜の通りの調性で歌うのが当たり前で、移調して歌う事すら知らんかったり、出来んかったりする。

場合によっては、そんなことけしからんという人もおる。

それに、どんなにバランスが悪くても、アルトはアルトのパート、テナーはテナー、バスはバス。

あるパートがおらんかったら、おらんまま歌うのが、まあ、当たり前。

そうじゃなくて、譜面が読めて、どのパートでも歌えて、移調が出来さえすれば、曲がりなりにも良いバランスで歌えて楽しめるやん、なんて発想、僕にすればもう当たり前だけど、それがフツーじゃないんだよな。

そうでなきゃ、いろんなパートバランスで歌える編曲すればいいやんっていう、「多目的」発想。

その全ての発想の元は、始めに人ありきってこと。

お師匠の藤井先生が作曲家だから出来た発想だと思うけど、それにしても凄い発想だと思うよ。

最近になって、特にそう思うな。

音楽やる上で、何が一番大事かってことね。

人だよ、ヒト。

 

次の練習は、2週飛ばして、2月17日です。

花粉症の季節だなー。

 

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【2月17日】
1025(25)基礎
1050(15)カノン
 56.谷間と山
 57.十人十色
 58.郵便屋
1105(15)讃美歌ARA読み
 83.めぐみのひかりは
1120(10)休憩
1130(55)TacoschatzⅡ
 62.くらいスフィンクス
 63.スコットランドの釣鐘層
 64.風になる
 66.しろくまのジェンカ
 67.アレルヤ、歓喜はあふれ
 68.The Lion Sleeps Tonight
 69.ももよせんせいのうた
 70.ゲゲゲの鬼太郎
 71.友よ、手をのべて
 72.棚のねずみ
 73.夕日