212 めざめよ牧人
213 野山も草木も
229 もみの木
215 天なる神には
211 O Holy Night
214 Night Bethlehem
210 羊飼いよ、急ぎ行きて
230 広間を飾ろう
184 ちとせをかさねし
156 牧人羊を
158 あら野のはてに
今年は暖冬。
最大のエルニーニョと温暖化のダブルパンチだそうで。
たしかに気温が高くって、クリスマス的な盛り上がりが例年に弱いね。
こうやってキャロルを何回かに渡って歌って、それはそれで「ああ、クリスマスやなぁ」って感じになるけどさ、やっぱもうちょっと天気がクリスマスっぽくなってくれないと、なんか一味足らないような気にはなるね。
そういう意味ではさ、音楽ってのはやっぱり環境に左右されるよね。
逆もあるけどね。
ま、であっても、やっぱりキャロルは良いんでありまして、私的には満足でありました。
なんであれ、この時期ににしか歌えない歌でもあるしね。
日本の季節の起伏がなんとなく平坦になってきたのと同じように、日本全体も地方の特色とか減ってきたり、考え方自体なんかも何となく平均的なことが多くなって、極端に飛び出た奴とかが減ってきたような気がする。
無茶したらとことん叩かれるし、ちょっと悪いことしても、とんでもなく厳しい状況になったりする。
昔はその点、のんびりしていて良かった、なんてことは簡単には言えんかもしれんけど、ちょっとつまんなくなってきてる気はするね。
音楽というか、合唱の世界もどうなるんだろうなんて、ガラにないことも考えたりする。
いや、別に合唱の世界がつまんなくなってきたとは言わんけど、でもね、なんかちょっとこのままでいいんかなと思わんこともないですよ。
では、なにか高邁な理想があるかというと、ハッキリ言えるほどではない。
一つはね、これはあくまでも一つですがね…
情報の伝達が発達して、例えばそれに伴って色々な、そしてより的確だったり正確だったりするノウハウなんてのも昔に比べたら獲得しやすくなって、そういう意味では、知識も増え、それによって技術も上がって、それによって音楽の出来そのものも上手になってきたから、より美しい音楽を作れるようになってきた。
これは悪いことじゃない。
だけど、その先ってなんだろう、と思うわけですよ。
でね、ここから完全に独断と偏見ですがね…
それは、やっぱり文学性とかね、その人間の人間性に結局なるんじゃないかと思うんですよ。
別に良い人間が良いって言ってるんじゃないんです。
破天荒な奴が居たら、破天荒な音楽を、好い加減な奴は好い加減な、律儀な奴は律儀な音楽。
その人間の、大袈裟に言うと人生とかを反映する音楽を。
波乱万丈な人間は、多分他の人間には分からない色んな思いや傷を背負って音楽をやれば、それがその人間独特の音楽になる。
逆に偏見たっぷりに言えば、もしかしたら、今の音楽が平坦に聴こえることが多いのは、みんなあんまりアブナイ経験がないから、音楽自体がドラマティックに聴こえないのかもしれない。
いや、自分で波乱万丈でなくても、音楽でも文学でも絵でも映画でも、疑似体験に近い形で、心を暴風雨の中の小舟の様に揺さぶられたことが少ないのかもしれない。
感激して涙が出た、ぐらいじゃまだ甘いくて、涙が出ないぐらい頭をぶちのめされた、かち割られたようなショックとか、心臓が止まりそうな感動やショックとか、死ぬほど怖い思いをするほど怒られたとか、そういう体験みたいなものがもしかしたら少ないってのは、あるんじゃないかと。
そしてそいういうものは、いつも決して美しく幸せなものじゃなくて、醜かったり、絶望的なものだったり、悲劇的なものだったり、人間の醜さだったりもする。
そういう一見「負」のものも一杯知ることって大事じゃないかと思いますがね。
メチャクチャな比較だけど、「第九」も良いけどね、チャイコフスキーの「悲愴」も良いわけですよ。
最近の日本の合唱曲は、所謂「頑張ろうソング」的な曲が多いような気がして、それは単に震災の影響じゃないと思うわけです。
私が思うのは、それって、これもホントに滅茶苦茶な比喩だけど、ちょっと軍歌に近い感じがあってね、ちょっと腰が引けるというか、あまり素直に共感できないところが天邪鬼的にあるわけです。
もっと、なんていうか、例えば昭和の時代にあったような(結局ノスタルジイ=ノスタル爺かと言われそうだけど)、ラブソングでも失恋だったり、悲恋だったり、人生や都市の黄昏だったり、人間の中身をさらけ出すような、そうでなかったら、思い切り自然の美しさを歌う曲とかがあっても良いんじゃないかと思うんですよ。
あああ、でも多分そういうのも難しい時代なのかもしれん。
でも、もっととにかく多様なものが必要な気はするですよ。
ということで(どゆこと?)、Solfa!では、まだまだ世に数あるある意味での古典的名曲をまだまだ読むわけです。
今、ちょっと詩の勉強をしていますがね、やっぱり古典を読まんといかんね。
それなしで、現代のものは語れないという、当たり前のことです。
道は長く険しいね。
さて、次の練習で2015年も最後です。
最後はなにをやろうかな…