「のっけからカノン」
122.起きろ、朝だ
121.まことはいつも
120.ソナタの演奏
114.伯爵様へ、医者から
115.コーヒーのカノン
「エゲレスのカロル」
62. All And Some
22. Coventry Carol
05. The Praise of Christmas
「日本語でキャロル」
150.Inrtoduction-A Happy Noel-
151.諸人こぞりて
160.ああベツレヘムよ
159.Ding dong, merrily on High
この日の練習には、かごんまよりOYAJI福×3氏が演奏会以来の参戦を果たしてくれてバスが大盛り上がり。
カノンは完全に彼のパートに席巻された。
やっぱね、取敢えず出したもん勝ち、歌ったもん勝ちってのがあるんだよ。
「まず、出せ」だよ。そして「出してから考えろ」ね。
これ、最近特に色んなところでストレスになっててね。
ちゃんと頭から出す人が、めっきり減ったね、最近。
で、ボアンボアンって後から大きくなるような、歌い方する人が多いんだ。
そうすると一人だけ飛び出たりしないから、事故は起こりにくいし、息に響きを乗っけるとかなんとか何だろうね、確かに声の響きは悪くないんだ、邪魔しない程度に。
だけどね、とにかく出がハッキリしないから、言葉は分からんし、どこから出たか分からんからリズムが分からんというか、無いというか、変だし、そもそも歌として変だし。
だけど、一番悪いのは、ここで出るってところで音が聴こえないから信頼できないってことだよ。
「合わせて出る」ぢゃなくて「出たら合う」っていうセンスがないとダメだ。
昔、声楽の先生に、合唱歌いの一番悪い所だと言われたよ。
合唱は皆でやるけど、結局一人一人の集まりなんだ。
その一人一人が積極的に歌おうとしないと、やっぱりつまんないものになっちまう。
合わなくても良いから歌いたいように歌うってことも時には大事かもね。
そうやって歌っても、合う感覚が快感になりさえすれば、自ずと合うと思うね。
その「出」に関して、ストレス発散ついでにもう一つ言うとさ、ある大きな合唱団の練習で、殆ど一度でちゃんと出るってことがなくて、ちょっとキレかけたのよ。
2回目はなんとか出るんだよ。
だけど、1回目から出ようとする、意思というか、準備というか、覚悟がないんだよな。
あれは、正直辛い。
精神的にというか、感覚的に脱臼するんだ。ガクってね。
多分、根本的には「練習」というのを履き違えているんじゃないかと思うんだよね。
これは、実は指揮者の責任が大きいんだけど、練習って、出来なかったら途中で止めて何度も繰り返すものと思っている。
1回じゃ終わらないものっていう、そういう習性が付いてる。
確かにそういう練習は多い。
でも、本当はそうじゃない。そうであってはいかんのよ。
「繰り返す」練習とそうでない練習を区別しなければいかん。
そしてまず何より、曲の練習の時には、とにかく1回で終わらせようという気合で、指揮者も歌い手も望まないといけない。
良いことも悪いことも絶対にあるわけで、それを含めてとにかく曲が始まったら最後まで勇気を持って通す。
で、全部歌い終わった上でものを言う、考える。
だから、その最初の「出」なんて、いつも一発で決めるつもりでやらないといけない。
こういう厳しさが習慣にならないといけないと思いますね。
例えば九響のリハーサルとか見てると、当たり前にそうだよね。
で、このくらいの事は、心構えの問題だから、別にアマだって出来るわけよ。
ま、その為には、一番変わらなければいけないのは、指導している指揮者だろうけどね。私も含めてね。
本番に2回目はない。
この当たり前のことを、練習でも常々考えてないとね。
ああ、ちょっとスッキリしたぞ。
さて、次回20日は、オールクリスマスといたします。
TacoschatzⅣをお持ちの方はどうぞ持ってきてください。
また、コピーを持っている人は、そのコピーを出来るだけ持ってきてね。
122.起きろ、朝だ
121.まことはいつも
120.ソナタの演奏
114.伯爵様へ、医者から
115.コーヒーのカノン
「エゲレスのカロル」
62. All And Some
22. Coventry Carol
05. The Praise of Christmas
「日本語でキャロル」
150.Inrtoduction-A Happy Noel-
151.諸人こぞりて
160.ああベツレヘムよ
159.Ding dong, merrily on High
この日の練習には、かごんまよりOYAJI福×3氏が演奏会以来の参戦を果たしてくれてバスが大盛り上がり。
カノンは完全に彼のパートに席巻された。
やっぱね、取敢えず出したもん勝ち、歌ったもん勝ちってのがあるんだよ。
「まず、出せ」だよ。そして「出してから考えろ」ね。
これ、最近特に色んなところでストレスになっててね。
ちゃんと頭から出す人が、めっきり減ったね、最近。
で、ボアンボアンって後から大きくなるような、歌い方する人が多いんだ。
そうすると一人だけ飛び出たりしないから、事故は起こりにくいし、息に響きを乗っけるとかなんとか何だろうね、確かに声の響きは悪くないんだ、邪魔しない程度に。
だけどね、とにかく出がハッキリしないから、言葉は分からんし、どこから出たか分からんからリズムが分からんというか、無いというか、変だし、そもそも歌として変だし。
だけど、一番悪いのは、ここで出るってところで音が聴こえないから信頼できないってことだよ。
「合わせて出る」ぢゃなくて「出たら合う」っていうセンスがないとダメだ。
昔、声楽の先生に、合唱歌いの一番悪い所だと言われたよ。
合唱は皆でやるけど、結局一人一人の集まりなんだ。
その一人一人が積極的に歌おうとしないと、やっぱりつまんないものになっちまう。
合わなくても良いから歌いたいように歌うってことも時には大事かもね。
そうやって歌っても、合う感覚が快感になりさえすれば、自ずと合うと思うね。
その「出」に関して、ストレス発散ついでにもう一つ言うとさ、ある大きな合唱団の練習で、殆ど一度でちゃんと出るってことがなくて、ちょっとキレかけたのよ。
2回目はなんとか出るんだよ。
だけど、1回目から出ようとする、意思というか、準備というか、覚悟がないんだよな。
あれは、正直辛い。
精神的にというか、感覚的に脱臼するんだ。ガクってね。
多分、根本的には「練習」というのを履き違えているんじゃないかと思うんだよね。
これは、実は指揮者の責任が大きいんだけど、練習って、出来なかったら途中で止めて何度も繰り返すものと思っている。
1回じゃ終わらないものっていう、そういう習性が付いてる。
確かにそういう練習は多い。
でも、本当はそうじゃない。そうであってはいかんのよ。
「繰り返す」練習とそうでない練習を区別しなければいかん。
そしてまず何より、曲の練習の時には、とにかく1回で終わらせようという気合で、指揮者も歌い手も望まないといけない。
良いことも悪いことも絶対にあるわけで、それを含めてとにかく曲が始まったら最後まで勇気を持って通す。
で、全部歌い終わった上でものを言う、考える。
だから、その最初の「出」なんて、いつも一発で決めるつもりでやらないといけない。
こういう厳しさが習慣にならないといけないと思いますね。
例えば九響のリハーサルとか見てると、当たり前にそうだよね。
で、このくらいの事は、心構えの問題だから、別にアマだって出来るわけよ。
ま、その為には、一番変わらなければいけないのは、指導している指揮者だろうけどね。私も含めてね。
本番に2回目はない。
この当たり前のことを、練習でも常々考えてないとね。
ああ、ちょっとスッキリしたぞ。
さて、次回20日は、オールクリスマスといたします。
TacoschatzⅣをお持ちの方はどうぞ持ってきてください。
また、コピーを持っている人は、そのコピーを出来るだけ持ってきてね。