今回は、スケール練習をいつもの長調のスケールに加えて、
同じ形で短調のスケールもやってみました。
で、やっぱりやり慣れていないから長調ほどは綺麗ぢゃなかった。
同じ音階の中でドからスタートするか、ラからスタートするかの違いだけなんだけど、
全然違うわね、当たり前だけど。
だから短調は短調でやっぱりちゃんとやらないといけないって事よね。
それにしても、短調のスケールのなんと重厚で深みがあること!
これはこれでやっぱり病み付きになるようなところがあるよね。
「TACOSCHATZⅢ」~12曲
109 ぞうさん
110 すべての宝にまさる宝
107 主よ なにゆえぞ
108 グノーのアヴェ・マリア
111 したいこと
112 春
113 若草
114 小川のせせらぎ
115 おもちゃのチャチャチャ
116 春風
117 春
118 赤い河の谷間
基礎練習で短調のスケールを練習したら、今回は短調の曲が多かった。
決して狙ったわけじゃないけど、こういうのは効率が良くてイイね。
練習中にも言ったんだけど、今回の曲の中で、110番はコラールの一番簡単な部類である意味一番単純なハーモニー進行で出来てるようなもので、こんな簡単な曲を歌う合唱団なんてごく少ないと思うんだけど、これね、やっぱり大事だよ。
こういう曲を散々やってから難しいものに行かないとイカンと思うわ。
まずなにせ、こういうものは、単純に美しいよ。
或いは美しさの原点があると言うかさ。
単純なハーモニーの美しさと、各声部の素直な動き、で、時々出てくる非和声音がまだゾクッと来るよね。
こういうのをまず十分分かったほうが良いと思うな。
それからすると、次にやったバッハ大先生の凄いこと。
次元が違うと言うか、別の世界になっちゃったみたいな凄さがあるよね。
或いは次のグノーのアヴェマリアもまた、そもそものバッハ大先生の曲が単純なアルペジオによるコード進行が美しいって曲じゃなくて、アルペジオの其々の音が体位的な動きをしているところがすごいと言うかね。
理屈は分からなくてもこういう事が感覚的に分かるようになるには、そもそものシンプルなハーモニーの美しさとかにまずドップリ浸かる必要があるとおもうね。
実はこの110番やらの単純なコラール、実は最近、かの超エリート九響合唱団さんで、最初のウォーミングアップで初見で歌ってもらったんです。
こんなSolfa!まがいのことをやらせて良いのかとも思ったけど、やっぱりやって良かったと思います。
で、思ったことがね、流石は九響合唱団さんほどともなれば、2回目に歌う時には全員とは言わないけれど、歌っている先の音を予測しながら歌っている感じが何となく分かるわけです。
コラールというのは、とても単純というか自然な流れである意味整然と書かれているから特に予測しやすいと思うんだけど、この、次にこの音が来るだろうと思いながら歌うというのはとても大事な感覚ではないかと思いましたね。
多分、Solfa!のメンバーもそこまで強いかどうかはともかく、そういう感じは何となくあるだろうと思うけどね。
整然とした音の流れ、旋律を知ると言うか、身に付けると言うかね。
で、繰り返しっぽくなるけど、それに比べると、例えば、さっき言ったみたいにバッハ大先生のものは、そういう予測を上回る動きと響きがするわけで、これがモーツァルト先生だと、例えば「Ave verum Corpus」なんか、一度歌ってしまうと、それ程単純でない動きも、もうそうとしか歌えないようなハマル美しさがある。
それからすると巨匠ベートーヴェン大教授先生なんか、もう全く予測不可能と言うか、なんでそんな動きなんだよー!と言いたくなる様なとてつもないダイナミックな動きをして、歌うのがヒーヒー大変なことになるんだけど、これが合わさって曲全体となると、とんでもないスケールになっちまう、みたいな感じがする。
元々の一番シンプルな美しさが分かれば分かるほど、こういう高次元の音楽の凄さも実感できるようになるんじゃなかろうか。理屈抜きに。
それも、単なる練習曲とかいう名目ではなく、それを楽しむつもりで歌う。
そういう意味ぢゃ、このコラール、或いはその延長線上の讃美歌の類いをホモホニーの世界(和声音楽)の感覚的導入として、そして一方で、単純なカノンなんかをポリフォニーの世界(多声部音楽)の感覚的導入として、沢山歌うことは、合唱をやる上では、イヤイヤ、音楽をやる上では欠かせないのではなかろうかぁああああ!!!!
その為には、その前提として、やっぱり感覚的に音階を身につける、移動ド唱法は絶対に大事なのではなかろうかぁああああああ!!!
おお!久々に独善的狂信的移動ド信者として完璧な自画自賛的結論に達したゾ。
書いているうちに独りで盛り上がっちゃった。
ま、あまり「身に付ける為」にそれをやる、なんて変な目的意識でやるのも変だよね。
なんとなく楽しく遊んでいるうちにそういうことが自然と身に付くようになるのが良いんだよね、本当はね。
いや、書き出すと止まらなくなった。
もうイッコ、書きたいことがあるのよ、今回は。
いや、あくまでTACO自身の健忘録のつもりで書くんで、読んでもあんまり面白くないよ。
ま、既に充分面白くないと思うけどね。
それはね、基礎練習のなかのパターン練習が如何に重要かってことに今更ながら気づいたってことよ。
最近特にTACOは、「パターン練習は音程練習だ」って紹介するよね。
確かにそうなんだけど、実はそれだけではないんだよね。
というか、本当はそっちの方が重要なんだってことに、気づいたと言うかね。
あれはね、3度とか4度とか5度の音程が飛べるようになれば、それでいい、というものではないんだよ。
その途中で、色々なパターンを作って遊ぶでしょ?あれこそが実は物凄く大事なんだよね。
あれで何をやっているかというとね、実は「音の言葉の練習」をやっているんだよ。
パターンがあるから、次にいく音は大体予測はつくけど、でもいつも同じパターンじゃないから、その都度頭の中で考えながら歌うよね。
あれ、言葉を喋る時と同じなんだよ。
だから、極端に言えば、このパターン練習をやらないで楽譜を読むのは、言葉の訓練をしないまま、文字を読むのと一緒なのよ。
これはまずいでしょ。
だから、世に移動ド唱法ってことで、その楽譜の読み方だけを紹介する人は沢山居ると思うけど、実はそれだけではかなり片手落ちで、最初に音階というスケールを作って、それからパターン練習で音程感を作ると同時に、音の組合せによる音の言葉、或いは会話、ある程度喋ることが出来るようにしてから、楽譜に取り掛かるのが本当なんだと思うね。
しっかし、そう考えると、これを考え出した藤井凡大って先生は、てげええれえわ!ノーベル賞もんだと思うよ。
はい、これも自画自賛的結論。ざまあみろ。
それにしても今回は春の歌が多かった。
それも短調の曲。
こういう短調の春の曲もまた、たまらんね。
さて、次の27日はお休みです。
あかでみの新入生歓迎合宿ってやつで、甘木の山奥で音楽漬けですわ。
次の練習は5月4日。例によってゴールデン真っ只中。
暇な人だけ来るように。(当然やな・・・)